jerry williams 1st

都知事選は現職:小池百合子の圧勝。予想されていたこととはいえ、開票スタート直後に当確が出るほどとは。ウツケン、山本太郎、小野泰輔の3人を足してもダブル・スコア近い大差がある。選挙運動なんてやらなくても、コロナ禍の対応を見せるだけで “やってる感” が出てアピールになるもんな。非常時の現職強し、をつくづく感じるし、投票率の低さにも唖然。ま、埼玉県民のカナザワが何を言っても始まらないが、この冷めた空気感が国政にも反映されないように見守りたい。そんなコトを書いていたら、このジェリー・ウィリアムスが、ウツケンや小野泰輔みたいに思えてきた。要は、実力があっても実直さやマジメなだけでは広く浸透しない、というコトよ…

このジェリー・ウィリアムスは、エリック・クラプトン『BEHIND THE SUN』(85年)に<Forever Man>など3曲を、『JOURNEYMAN』(89年)に<Pretending>や<Running On Faith>など5曲(共作含む)を提供しているテキサス生まれのスワンプ系シンガー・ソングライター(この頃からジェリー・リン・ウィリアムスと名乗っている)。ボニー・レイットにも早くから楽曲提供し、グラミー3冠の『NICK OF TIME』(89年)でも2曲。他にもリンゴ・スター、ロイ・オービソン、ボビー・ウーマック、ロニー・ウッド、ドゥービー・ブラザーズ、ドクター・フィールグッド、ロバート・プラント、ファビュラス・サンダーバーズ/ヴォーン・ブラザーズ、ジョニー・ウインター、ウィルソン・ピケット、クリフ・リチャード、ボニー・タイラーなど、彼の楽曲をチョイスするアーティストは引きも切らない。デイヴ・メイソンの78年作『MARIPOSA DE ORO(黄金の蝶)』での活躍も、個人的には忘れられないところだ。

そんな才能に惚れ込んだジョン・オーツは、当時レコード契約のなかったジェリーをメジャー・レーベルに紹介し、スタジオ・セッションまで段取ったそう。残念ながらそれは実を結ばなかったものの、結果的にジェリーの96年の自主制作盤『THE PEACEMAKER』(ソロ3枚目)に結実。ゲストにオーツ、クラプトン、スティーヴ・レイ・ヴォーン、ミック・フリートウッド、そして盟友とも言いたくなるニッキー・ホプキンスが参加している。ローリング・ストーンズのお抱えピアニストとして知られたニッキーのソロ作『THE TIN MAN WAS A DREAMER(夢見る人)』(73年)で4曲共作し、リード・ヴォーカルまで取っていたのも、このジェリーだ。

上掲作はそのジェリーが72年にリリースした、1stソロ・アルバム。参加ミュージシャンは大フィーチャーされているニッキーほか、コーネル・デュプリー(g)、チャック・レイニー/ゴードン・エドエワーズ(b)、バーナード・パーディー(ds)、ボビー・ホール(perc)といった東海岸のソウル・ジャズ人脈が中心。当時グリンを率いていたニルス・ロフグレン(g)の参加が意外だが、彼はジェリーが契約していたSpindizzyのレーベル・メイトという間柄だった。

そうした流れを考えると、レオン・ラッセルやジョー・コッカーみたいな渋めのスワンプ・アルバムを想像するところ。実際オープニングのバリー・マン曲<On Broadway>は、コク深いスロウ・アレンジでジックリと聴かせるスタートなのだが、次第に熱気を帯びてきて、やがてはブルージーなファンキー・ロックへ展開していく。その後半のノリが、このアルバムを支配するのだ。ふと思い当たるのは、スティーヴ・マリオット率いるハンブル・パイとか、ニッキーも在籍した第1期ジェフ・ベック・グループ。ルーズなグルーヴやソウルフルな歌いっぷりはフリーにも通じるけれど、ニルスのプレイと思しき燃え上がるような激しいギター・ソロ、鍵盤を叩くようなニッキーのピアノの凄まじさは、その比ではない。 79年にレオン・ラッセルのシェルターから出した2nd『GONE』も、スティーヴ・クロッパーやジェフ・ポーカロが参加したL.A.スワンプの好作だが、その熱気、ヒートアップ度は、この1枚目がはるか上を行く。

それでもアーティストとして成功しなかったのは、直情型の性格が災いし、期待したプロモーションをしてくれないレーベルに対し、すぐにケンカを売ってしまうかららしい。一旦完成したアルバムをレコード会社にダメ出しされたクラプトンが、急遽ジェリーの曲を追加レコーディングして手当てしたように、のちに “ソング・ドクター” と呼ばれるジェリーだったが、やはりどんな世界でも自分を上手にプロデュースできないと、大物にはなれないらしい。05年、内臓疾患で没。