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また訃報。全盛期のユーライア・ヒープや、ソロ転向直後のオジー・オズボーンのバンド:Blizzard Of Ozzで活躍したドラマー、リー・カースレイクが、19日早朝に亡くなった。前立腺ガンで闘病していたという。かつてヒープの中核だったケン・ヘンズレーは、「キツイね。私の55年の音楽キャリアに於いて、最高のドラマーだった」と追悼コメント。享年73歳だった。

リー・カースレイクは、英国ドーセットにあるボーンマス郊外の街、ウィントン出身。最初のプロ・バンドが、ケン・ヘンズレー率いるザ・ゴッズで、68年にデビューし、2枚のアルバムを発表している。バンドとしては成功しなかったが、ミック・テイラー(g)、ジェスロ・タルへ行くジョン・グラスコック(b)、ヒープの結成メンバーとなるポール・ニュートン(b)、その後任に言わずと知れたグレッグ・レイク(b)らが入れ替わり立ち替わりで参加する、有能な若手ミュージシャンの巣窟みたいなバンドだった。クリームの前座を務めたり、ジミ・ヘンドリックスのステージ・サポートを務めた、という逸話も残っている。

このザ・ゴッズがトゥ・ファットへ移行するのに伴い、カースレイクもヘンズレーと行動を共に。しかし2人はアルバム1枚でそこを離れ、ヘンズレーは前身バンド:スパイスを経てユーライア・ヒープ結成へ。カースレイクは、後にキャラヴァンやキャメルで活躍するヤン・シェルハースを要するナショナル・ヘッド・バンドを組んだが長続きせず、上掲のヒープ4作目『DEMONS AND WIZARDS(悪魔と魔法使い)』(72年)からヘンズレーに合流し、一度は脱退したものの、00年代中盤までヒープを支えた。

そのヒープ離脱期間(70年代末〜80年代初頭)に参加したのが、オジーのブリザード・オブ・オズ。若き天才ギタリスト:ランディ・ローズをフィーチャーしたこのバンドは、華々しくハード・ロック・シーンを席巻したものの、この編成はマネージメントの問題からすぐ瓦解。しかも後年、カースレイクとベースのボブ・ディズリー(元レインボー)がオジーを提訴。02年の再発盤では、リズムが丸々差し替えられてしまうトラブルに直面している。ヘンズレーの脱退と入れ替わりでヒープへ復帰したのは82年のコトだ。

このように結構な経歴を持つカースレイクだが、例えばジョン・ボーナムやイアン・ペイスのような名手に比べると、ドラムの腕はちょっと平凡。その代わり彼はザ・ゴッズの頃から曲を書き、ヒープではバック・コーラスでも活躍した。全盛期のヒープは、ハード・ロック・バンドとは思えぬ美麗コーラスがウリのひとつになっていたが、その一端をカースレイクが担っていたのである。生涯バイ・プレイヤーだったけれど、そういう意味では貴重なドラマーだったのだな。

Rest in Peace...