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全米No.1ヒット<Best Of My Love>で知られるエモーションズのシンガー、パメラ・ハッチンソンが18日に死去。直接の死因は発表されていないが、ここ数年、闘病生活を送っていたそうだ。彼女はゴスペル・ファミリー:ハッチンソン家5人兄弟の四女。長女ジャネットと入れ替わりでエモーションズに加入し、<Best Of My Love>を収録した上掲作『REJOICE』(77年)が初参加のアルバムだった。享年61歳。

ハッチンソン姉妹は、長女ジャネット、次女ワンダ、三女シーラ、唯一の男兄弟ジョセフを挟んで四女パメラという構成。父ジョーは地元シカゴで名の通ったゴスペル・グループ、ウイングス・オブ・ヘヴンのメンバー。マヘリア・ジャクソンとも深い親交があった。それと並行して、家族でもゴスペル・グループを結成。ジョーと上の娘たち3人で、最初はヘヴンリー・サンビームス、やがてハッチンソン・サンビームスと名乗る。この名前はエモージョンズの78年作『SUNBEAM』に転用され、そのインサートには子供時代の娘たちの写真が多数あしらわれていた。またゴスペル時代に、いくつかのローカル・レーベルならシングルを出している。

セキュラーに転向したエモーションズは、69年にスタックス傘下のヴォルトからデビュー。<So I Can Love You>がいきなりR&Bチャート3位、全米チャートでもトップ40入りして注目された。その後ジャネットが結婚し、従姉妹のデレサ・デイヴィスが加入。このラインナップで映画『ワッツタックス』に出演し、教会でのゴスペル・ライヴを披露している。しかしスタックスが下降線で先に進めず、3枚目のアルバムがお蔵入り(後にリリース)。そこで、同郷で以前からハッチンソン姉妹を知っていたモーリス・ホワイトが彼女たちに声を掛け、設立間もない制作オフィス:カリンバ・プロダクションにエモーションズを迎え入れた。この時ジャネットが復帰。しかし彼女はまた短期間で脱退、復帰を繰り返した。妹のワンダやシーラがリード・ヴォーカルや曲作りで才を発揮しただけに、心の内にストレスを溜めていたのかもしれない。

かくしてアース・ウインド&ファイアー・ファミリーに仲間入りしたエモーションズ。その関係は81年作『NEW AFFAIR』まで継続。ワンダの夫であるウェイン・ヴォーンも、80年代に入ってアースのサポートに就いている。その後は新興レーベルやモータウンに移籍を繰り返し、2枚のスタジオ・アルバムを発表。その後はライヴ中心に活動を続けていた。ちなみにエモーションズとアースといえば、<Boogie Wonderland>での共演が思い出されるが、この時のエモーションズはジャネット入りで、パメラのクレジットは見当たらない。

Rest in Peace...