van halen

朝イチで飛び込んできたエディ・ヴァン・ヘイレンの訃報。自分もすぐに2本ほどポストしたけど、SNSは一日中、エディ追悼記事で溢れ返った。ガンと知らされてから長い時間が経ち、その間に新作発表や来日公演もあったから完治したのだと思っていたら、人知れず何度も再発・治療を繰り返していたようで、とうとう力尽きてしまったらしい。ハード・ロック・ギターの革命児としては呆気ない死だった。享年65歳。まだ若いヨ…

エディの偉業については、今さら書くまでもないし、調べればいくらでも出てくるので、ココではちょっと個人的な思い入れを。

やっぱり自分にとってのヴァン・ヘイレンは、衝撃的な出会いとなった78年の1stに尽きる。リリースが同年初頭だから、カナザワこの時、17歳の高校2年生。当時はカセットに録音して聴いていたが、受験生の頃はこの1stを目覚まし時計がわりにタイマー・セットし、ほぼ毎日、エディの爆音ギターで目を覚ましていた。一発で飛び起きましたね。

後にヴァン・ヘイレンのプロト・タイプと言われるようになるモントローズを先に愛聴していたから、彼らのデビュー盤にはすぐ馴染んだ。共にテッド・テンプルマンのプロデュース。メチャメチャ、ハード・ロックなのに、如何にもカリフォルニア発らしい爽快さ、明るくドライな耳触りがスゴく気持ちよかった。当時はブリティッシュ系のブルージーなハード・ロックがデフォルトだったから、如何にもFM乗りの良いハイ上がりの音作りが新鮮だったのだな。普通のハード・ロックがビフテキなら、ヴァン・ヘイレンやモントローズは、シャッキとしたグリーン・サラダのような音。

ただ同じインパクトでも、モントローズ1st(邦題『ハード・ショック』)に於けるロニー・モントローズのギターが、爆音を幾重にも重ねて分厚い音で走り回る感じだったのに、エディの音はもっとシャープで切れ味鋭く、もう空いたクチが塞がらないくらいトリッキー。何をどうやったらこんなに早く弾けるのか?状態で、それが後にライトハンド奏法=タッピングと呼ばれるワケ。

奏法自体は戦前のジャズ・ギタリストがすでにプレイしていたそうだが、そのスピード感と演奏の組み立てのカッコ良さによって、エディが一気に世に広めた。しかも必死の形相で弾くのではなく、屈託のないニコヤカな笑顔で、次々にスゴ技を決めていく。そのギャップが多くの音楽ファンを惹きつけた。

そしてもう一人、この永遠のギター少年を輝かせた名脇役がいる。ヴァン・ヘイレンの初代シンガー、ダイアモンド・デイヴことデイヴ・リー・ロス、その人だ。ヴォーカリストとしての実力もさることながら、あのおバカで能天気で大風呂敷なヤンキー・キャラが、初期ヴァン・ヘイレンのフロントには必要不可欠だった。仮にオリジナル・シンガーがクソ真面目なサミー・ヘイガーだったら、彼らは今ほどの人気を確立できてなかったんじゃないだろうか? サミーもすごいシンガーだけれど、ヴァン・ヘイレンでは2代目だから良かったのだ。それはサミーが在籍した前期モントローズを見れば分かる。ギタリストの持ち味はもちろん全然違うけれど、モントローズにエンターテイナー的要素はほとんどない。オリジナル期のヴァン・ヘイレンには、その時ならではのケミストリーがあった。

結果的に最後の来日となった2013年の東京ドーム公演を見られたのはラッキーだったけど、アレが最後になるとは思わなかったな。実際18~19年には、クラシック・ラインアップでツアーに出る噂があったし、マイケル・アンソニーに参加の打診があったことも明らかになっている。それが立ち消えになったのは、今にして思えば、エディのガン再発が分かったからだろう。

でもエディが世に出ていなけりゃ、スティーヴ・ヴァイやイングヴェイ・マルムスティーンもいなかったかもしれない。でもエディにはあって、それ以降のバカテク・ギター弾きからは薄れてしまったコトがある。それは感情表現の豊かさだ。エディが若い頃に聴きまくっていたのは、ジェフ・ベックやリッチー・ブラックモアではなく、エリック・クラプトンとか。つまりはブルース表現、と言っていいだろう。それは同時に、ハード・ロックにあってヘヴィ・メタにはないもの。いくら指が早く動いたって、重い音が出せたって、時には一発のベンドに負けてしまう。エディがスゴかったは、そうした表現の極意を知り抜いていた上で、技術革命とエンターテイメントを両立させたことなのだ。

改めて、Rest in Peace...