shingo kobayashi (1)nobu caine
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音楽プロデューサーでアレンジャー/キーボード奏者としても知られる小林信吾が、4日に自宅で死去していたことが、9日朝、オフィシャル・サイトと本人SNS(愛娘のMAOさん代筆)で明らかになった。 ネット・ニュースでは中島みゆき、浜崎あゆみ、KAN、平原綾香あたりの仕事が紹介されているが、やっぱり自分にとっては角松敏生との蜜月しかない。享年62歳。早すぎます…

17年6月に食道ガンが発見され、角松敏生のツアーを途中降板。手術〜しばしの休養にを経て復帰。19年に7月には、25年振りとなる2枚目のソロ・アルバム『SOLILOGUY』をデジタル・リリースし、9月末にはリリース・ライヴ@目黒Blue Alley Japan を行ない、カナザワも足を運んだ(ライヴ・レポートはこちら)。それから僅か1年で、まさか訃報に接するコトになろうとは…。再び休養をとり、6月からは地方局でパーソナリティを務めていた番組もお休みに。体調良くないのだなぁ…、とは思っていたが、またきっと戻ってくる、そう思い込んでいた。

振り返ってみれば、小林信吾の名前を意識するようになったのは、やっぱり角松絡みで。最初は角松のレーベル:om から出たノブ・ケインの1st アルバム(89年)だったか。何度か名前を目にした記憶はあるものの、最初は名前をインプットしていなかった。それが角松のライヴ・アルバム『SPECIAL LIVE '89.8.26 ~ MORE DESIRE』にも参加していて。村上ポン太、鈴木茂、斉藤ノブ、今剛といった錚々たるベテラン勢の中に青木智仁と共に斬り込んでいて、「誰なんだ、コイツは」と思った。この時は故・佐藤博のスケジュールが合わず、その代役だったらしいが。後で聞いた話だと、角松が信吾さんと知り合ったのも、まさにノブさんに紹介されたのが最初だったらしい。ニューヨークに部屋を借りて、行ったり来たりしていた角松が、ちょうど日本に腰を落ち着けようとしていたタイミング。親しく付き合うに連れ、いつしか角松サウンドに不可欠の存在へと入り込んでいったのだろう。インスト2作目『LEGACY OF YOU』を挟んで登場した大作『ALL IS VANITY』で、彼はコ・プロデューサーとしてクレジットされていた。小林信吾と角松と聞いてカナザワが真っ先に思い出すのが、実はこの『ALL IS VANITY』。優れたキーボード奏者であるのは言うまでもないけど、もっと高いところから全体を俯瞰するアレンジ/プロデュース能力が発揮されてこその小林信吾、自分はそう捉えている。

時に “日本のデヴィッド・フォスター” などと形容されることもあった信吾さん。当人がそれをどう思っていたかは分からないが、フォスター・サウンドに憧れていたのは事実のようで。彼がキャリア初期にツアー・バンドに参加していた尾崎亜美さんにインタビューした時、「信吾ちゃんはね、私のL.A.レコーディングの時、スタジオに見学に来てたのよ。自腹でL.A.行くから見せて下さい、って」 それが81年の『HOT BABY』、デヴィッド・フォスターがアレンジ/キーボード、ジェイ・グレイドン、スティーヴ・ルカサー、ジェフ・ポーカロが参加した、AOR色全開の作品だ。加えて亜美さん、「信吾ちゃんに言われたことがあるの。私っていろんなタイプの曲を演るでしょ? しかも自分でピアノを弾くのに、当時はステージングに凝っていたから、ハンド・マイクで歌う曲も多くって。だから私のバンドの鍵盤の人はプレッシャーが大きくて、その分勉強になるって。考えてみれば、彼の前が清水信之さんで、あとが富田素弘さん。みんな活躍しているの」

直接信吾さんと言葉を交わすようになったのは、MAOCHICAがキッカケだったか。何度か取材したりライヴを見せてもらったけれど、一番印象に残っているのは、上掲『DAYS』の時。急にグンとポップになって、耳馴染みが良くなった。取材していても、野生的カンが働く友成さんがどう動くかを見ながら自分の立ち位置を決めていく、そんなインテリジェンスを感じさせていたな。

最後のやり取りは、角松の『EARPLAY』完成後、カナザワが発売に先駆けてアップしたレビューを読んで直接メッセージを頂いた時。ご自分と森俊之さんの役割分担で、ちょっとしたエピソードを教えていただいたのが最後になった。あの時は、『EARPLAY』のライヴでお目に掛かれることを、まったく疑ってなかったのだが…。

青木さん、ブッチャー浅野祥之さんの時はお別れを言いに行ったが、今はコロナ禍もあり、身内だけで見送ったそうだ。それもまた信吾さんらしい幕引きなのかも知れないな。

改めて、ご冥福をお祈りします。
安らかに…