たそがれ (1)tsutusumi

巨星墜つ。稀代の名作曲家:筒美京平(本名:渡辺栄吉)が7日に亡くなった。オリコン・ランキングNo.1が39曲、総売上枚数7560万枚は作曲家でトップ。しばらく前からパーキンソン病を患っていたそうで、それ由来の誤嚥性肺炎病が原因だった。享年80歳。

昼下がりに人と会っている時に、訃報が飛び込んできて、それ以来追悼メッセージがSNSを激しく賑わせている。でも自分的には、筒美京平先生に強い思い入れはない。もちろん幼心で耳にした<ブルーライト・ヨコハマ>や<また逢う日まで>から、ヒット曲のほとんどは耳にしているし、名曲も数知れず。自分のハジレコ(初めて小遣いで買ったレコード)だって、浅田美代子<赤い風船>だったし。でも半年ほど歌謡曲にハマったあと、ビートルズ経由でロックやポップスにのめり込んでいってからは、意気がって歌謡曲を遠ざける傾向があったから、氏は半ば敵軍総大将的存在に見なしていた。当時から洋楽センスを取り込んだ作風だったが、桑名正博、庄野真代、大橋純子など、ロックやニューミュージック系のアーティストが筒美作品を歌ってヒットを飛ばすと、イイ曲だと魅力は認めつつ、青臭い感情で、何処か裏切られたような気持ちにもなっていたな。

特筆すべきは、氏は作曲だけでなく、編曲にも才を発揮したことだ。…っていうか、編曲・作風まで考えた上での曲作りが素晴らしかった。特にモータウンやフィリー・ソウルの導入が得意技で。これは、ちょっと度が過ぎれば「パクリ」として批判対象にもなってしまう。かくいうカナザワも、愛情やリスペクトなど思想のあるパクリと、売れるためのネタ使いとしてのパクリを区別していて、前者なら寛容、後者には攻撃的に接していた。そうすると、大雑把に言って、ロック/ポップス=ニューミュージックは前者、歌謡曲やアイドル物は後者になりやすい。氏が表現したインフルエンスも、また然り。でも自分が成長して、音楽界の事情や裏側が見えてくると、そう単純な構図ではないことが分かってくる。

それを気づかせてくれた楽曲の一つが、大橋純子<たそがれマイラブ>だった。ソウル〜ファンク好きでスケール大きな歌が歌えて、<シンプル・ラヴ>のようなディスコ・ヒットも出せるのに、何故こんな哀愁歌謡を歌う必要があるのだ? サブちゃん(北島三郎)の事務所にいるからか?(当時)なんて。彼女にはもっと本領発揮できる歌で勝負してほしい、と思っていた。ところがヒットからしばらく経って、この曲の元ネタがドゥービー・ブラザーズ<You Belong To Me>だと聞かされ、超ビックリ。耳タコで聴いていた曲なのに自分では気づかず、氏の引用の極意というか、元ネタ昇華のレヴェルの高さ、解釈の深さを思い知った。洋楽そのものでは日本の歌謡曲として通用しないから、日本的なメロディと融合・合体させる。それが筒美作品のベース。そんじょそこらの安いパクリとは、完全に次元が違った。

また氏は職業作曲家の自分に敵対する存在として、自作自演ベースのニューミュージック勢に脅威を感じていたらしい。実際フォーク・ブームがあったり、ユーミンやポプコン勢が人気を得たりして、職業作家は少しづつ侵食されていたが、一方で林哲司のような転身組が現れたり、松本隆や大瀧詠一ら はっぴんえんどファミリーみたいに接近してくる人たちも現れて、その距離は徐々に縮まった。氏の引用の裏には、「職業作家としての使命はヒット商品を作ること」という強い信念があり、その具体的な方法として「ヒット作りのコツは大衆の半歩先を行く」というロジックを持っていた。この言葉のキモは、“ヒット商品” と “大衆の半歩先” 。ニューミュージック系のシンガー・ソングライターが書くのは“作品”であり、“商品”と言われればイイ気はしないだろう。そしてヒットするかどうかは結果論。でも職業作家は、ヒットを義務付けられ、“商品”作りを強いられている。そこに職業作曲家として覚悟があり、曲作りは真剣勝負だった。そして “大衆の半歩先”という、ヒットのための絶妙な匙加減。実はこの半歩先というのは、クインシー・ジョーンズも同じことを言っている。一歩先だと、ついてこられない人が倍増してしまう。万人向けとはそういうコト。洋楽ヒットの導入も、そういうメソッドの実践的導入だったワケだ。

でもバンド・ブームが訪れた時に、そうした職業作家の矜持が著しく歪められた気がした。個人的経験では、たまたま某TVのバンド・コンテスト番組を見ていたら、アマチュア・バンドがジャヴァンの<Samurai>をパクッていて。“うまくても、パクリなんて受かるワケねぇ…”とタカを括っていたら、これがスイスイと何週間か勝ち抜いて初代キングになり、デビューして大ヒット。「あのパクリが…」とかなり唖然。それであの人気番組そのものに幻滅したし、日本のポップ・シーンの低脳ぶりを目の当たりにしたようで、それ以降のJ-POPに積極的興味が持てなくなってしまった。あの頃からJ-POPのパクリは美味しいウワズミだけをすくい取るようになって、信念も哲学も失ってしまった気がする。

そうして歌謡曲と和製ポップスが融合・離反を繰り返すダイナミズムの中で、シンボル的ポジションに置かれた筒美京平。その後その壁がスッカリなくなり、彼自身も小西康陽や小沢健二など、新しい世代のサウンド・クリエイターと仕事をするようになった。その死はまさに、ひとつの時代の終わりを告げているよう。

偉大なるメロディ・メイカー、どうぞ安らかに…