spencer davis group

スティーヴ・ウィンウッドを輩出したスペンサー・デイヴィス・グループのリーダー:スペンサー・デイヴィスが10月19日、肺炎の治療のため入院していた病院で心臓発作を起こして急死。享年81歳だった。人格者だったらしく、近しい友人たちの多くが「とても礼儀正しく、音楽に対して純粋だった」と異口同音に語っている。スティーヴも「彼と知り合ったのは僕が13歳くらいの時。スペンサーは22歳くらいだった。彼は僕の音楽のテイストに影響を与え、プロ・ミュージシャンの道へと導いてくれた。感謝してるよ。ありがとう、スペンサー」と追悼コメントを寄せている。

とかくスティーヴ・ウインウッドを育てたことで語られがちなスペンサー・デイヴィスだが、スティーヴが在籍したのは63〜67年の第1期。メンバーはスペンサー、マフとスティーヴのウィンウッド兄弟、ドラムのピート・ヨークの4人だ。そのラインナップが崩れるキッカケが、全英2位になった<Gimme Some Lovin'>をUSリリースする際に、当時ディープ・フィーリングというグループを組んでいたデイヴ・メイスンとジム・キャパルディにオーヴァーを依頼したこと。続いて67年初頭のシングル<I'm A Man>のレコーディングには、スティーヴと意気投合したメイスンとキャパルディが再び参加し、さらにロコモティヴなるバンドにいたクリス・ウッドが、パーカッションで参加した。そしてこの4人で新グループ:トラフィックを結成するため、スティーヴがグループを脱退。ミュージック・ビジネス志向が強まっていた兄マフも、弟をサポートすべくスペンサーの元を離れていった。

その後スペンサーとピート・ヨークは、オーディションで鍵盤奏者とギタリストを補充。この時キーボードは後にソロ作を出すエディ・ハーディンが採用されたが、その最終候補にはレジナルド・ドゥワイト、つまり後のエルトン・ジョンも名もあったらしい。だがこの後ギタリストが短期間で脱退するなどゴタゴタが続き、ナイジェル・オルソンを迎えたりしたものの、結局69年に解散。73年にオリジナル・ラインアップのスペンサー、ヨーク、元メンバーのエディ・ハーディンとレイ・フェンウィック、そして元テイストのチャーリー・マクラッケンで再結成し、第1期のR&Bスタイルとは違ったパブ・ロック的アプローチで、そちら方面のファンから愛された。グループはゼロ年代にまた再結成されるが、70年代最後の作となった通算7作目『LIVING IN A BACK STREET』(74年)は、ディープ・パープルのロジャー・グローヴァーがプロデュース。フェンウィックがイアン・ギラン・バンドに加入するなど、パープル人脈に近いメンバーがいるのも、このあたりがポイントだったようだ。

さて、この『AUTUMN '66』は、スペンサー・デイヴィス・グループの通算3枚目にして、ウインウッド兄弟在籍の最後のアルバム。スティーヴの成長に伴って音楽性が広範囲に広がっていった時期のアルバムで、ソウル/R&Bテイストはもちろん、ブルースやカントリー、時にジャズの要素まで覗かせる。特に驚くのは、まだ10代だったスティーヴのヴォーカルが、ほとんど完成されていること。手持ちの紙ジャケ盤だと、本作発売後のシングルである前述<Gimme Some Lovin'>のUK/USヴァージョン、<I'm A Man>など超美味しい8曲のボーナス・トラック入りなので、グループ在籍中のスティーヴの最後の歌が余すところなくチェックできる。

最近の音楽シーンには、子供みたいなオジサン、オバサンがゾロゾロいるので、スティーヴの老成したヴォーカル・スタイルに驚いてしまうが、昔はみんな大人になるのが早かった。そしてその根本には、若者たちがオトナに憧れた当時とオトナを拒否する現代の違いがあるのだろう。スティーヴの身近な存在だったスペンサーは、きっと信頼できるオトナとして、少年スティーヴの目にカッコよく映っていたことだろう。

Rest in Peace...