jim weatherly

ミシシッピ出身のカントリー系シンガー・ソングライター:ジム・ウェザリーが、3日夜、テネシー州ブレントウッドの自宅で亡くなった。享年77歳。死因は明らかにされていない。ブルースやR&B、ゴスペルが盛んな地で育ち、エルビス・プレスリーやロカビリー・ミュージックに触発されて13歳で曲作りを開始。ミシシッピ大学ではフットボール・チームでクォーターバックとして活躍して全米選手権に出場する傍ら、バンドのヴォーカル&ギタリストとしてステージにも立っていた。大学卒業後は、あまり背が高くなかったことからプロ・フットボール選手の道を断念。68年にヴァーヴからThe Gordian Knotなるバンドでデビューしたものの、成功の糸口は掴めずソングライターに転身している。

70年代に入る前後からボチボチ自作曲を取り上げられるようになったが、72年にソロ・デビュー。そのアルバムに入っていたのが、<Midnight Plane To Houston>である。ジムはこれをシシー・ヒューストン(ホイットニーの母親)に歌ってもらいたいと提案。その時シシー側の希望で歌詞が一部書き換えられ、<Midnght Train To Georgia(夜汽車よ!ジョージアへ)>が誕生した。これがローカル・ヒットしたことから、楽曲を管理する出版社がこの曲をグラディス・ナイト&ザ・ピップスに持っていく。グラディスたちは、既にジムの<Neither One Of Us (Wants To Be The First To Say Goodbye)>(さよならは悲しい言葉)を全米チャート2位/R&Bチャート首位にし、彼女たちにグラミー賞をもたらしていた。

かくして<夜汽車よ!ジョージアへ>は、グラディス初の全米No.1ヒットになり、彼女たちにとってもジムにとっても最大のヒットに。グラディスとジムのコラボは、それをキッカケに連続してヒットを送り出していく。<夜汽車よ!ジョージアへ>も多くのアーティストにカヴァーされ、比較的新しいところでは、アレサ・フランクリン『SINGS THE GREAT DIVA CLASSICS』(14年)のヴァージョンが印象的だった。

ジム自身も70年代中盤までに7枚のソロ作をリリース。上掲『PICTURES & RHYMES(詩情と情景)』は76年の6作目で、アレンジは3作連続でニック・デカロが担当している。参加ミュージシャンには、ラリー・カールトン、マイケル・オマーティアン、デヴィッド・フォスター、リー・リトナー、エド・グリーン、ヴィクター・フェルドマン等などがクレジット。そこから察せられるように、カントリーというよりはMOR的なポップ・サウンドが楽しめた。では今カナザワが制作中のディスクガイド『AOR Light Mellow Premium 02』の対象になるのでは…?、というと、コレが何とも微妙なところで…。

80年にナッシュビルへ移った後は、グレン・キャンベルやケニー・ロジャース、ガース・ブルックス、ニール・ダイアモンドなど、更に多くのMOR系著名アーティストたちに楽曲提供。06年に “ナッシュビル・ソングライターの殿堂”、14年に “ソングライターの殿堂” 入りを果たしたている。カントリー楽曲にあまり興味がなかった黒人ソウル・シンガーたちを開眼させたのは、まさにジムとグラディスのチームであった。

"I'm missing Jim Weatherly already. He was about life and love" (tweeted by Gladys Knight)

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