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70年代初頭に2枚のソフト・ロック〜シティ・ポップ〜プレAOR名盤を残した巨漢シンガー・ソングライター、マイケル・ゲイトリー。昨年末の世界初CD化で話題になっているロバート・ジョンの元相方でもあり、ホンワカした優しいムードのアーリー・ポップン・AORを聴かせてくれる。その2枚『GATELY'S CAFE』と『GATELY : STILL ROUND』 が、来週17日にリイシュー。どちらも以前、韓国プレスによる紙ジャケットの輸入盤国内仕様が出回ったことがあるが、国内プレスは初めて。『GATELY : STILL ROUND』がディスクガイド『AOR Light Mellow Premium 01 〜 Legends & Pre-AOR』掲載盤なのもあってか、カナザワがまとめて解説を担当させて戴いた。

マイケルとロバート・ジョン(ロバート・ジョン・ペドリックJr./ロバート or ボビー・ペドリックとの表記多数)は、ハイスクール時代の同級生。ロバートは子供の頃から美しいハイ・テナーで評判を取り、1958年、12歳でデビュー。その後ドゥワップ系のグループなどでも歌っていたらしいが、程なくソロに戻って65〜66年に7インチ・シングルを発売。その時のパートナーがマイケルだった。ロバートが米コロムビアから出した初アルバム『IF YOU DON’T WANT MY LOVE』(68年)はカヴァー中心で、ミラクルズやモンキーズ、グレン・キャンベル、ジャッキー・デシャノン、ゲイリー・パケット&ユニオン・ギャップらのヒット曲で構成されているが、オリジナルの書き下ろし5曲中4曲がロバートとマイケルの共作になる。その後ロバートは A&M〜アトランティックとレーベルを移籍。72年早々にトーケンズ<The Lion Sleeps Tonight(ライオンは寝ている)>をカヴァーし、これが全米3位のヒットになった。

マイケルとロバートの関係は曲作りだけでなく、アレンジやサウンドメイク、ハーモニー・ワークにも及んでおり、実質クリエイター・チームとして機能していたようである。そこに目をつけたのが奇才アル・クーパー。クーパーは以前、ロバートのソロ・シングルをプロデュースしたことがあり、その相棒マイケルとも親しい関係を築いていた。実際2人はクーパーの『YOU NEVER KNOW WHO YOUR FRIENDS ARE(孤独の世界)』(69年)から断続的に彼のレコーディングに参加。クーパーの72年作『早すぎた自叙伝(A POSSIBLE PROJECTION OF THE FUTURE /CHILDHOOD'S END)』と同時に、マイケルの初ソロ作『GATELY'S CAFE』(71年)を制作している。

だから『GATELY'S CAFE』のベーシックはロンドン録音。エルトン・ジョンのブレーンであるロジャー・ポープ(ds)とハービー・フラワーズ(b)、カレブ・クウェイ(g)の他、フリーの人気ギタリスト:ポール・コゾフや当時マハヴィシュヌ・オーケストラにいたヴァイオリン奏者ジェリー・グッドマン(元フロック)も参加している。11曲中9曲はマイケルとロバートの共作もしくはマイケル単独作で、残り2曲はアル・クーパーの提供。全体としては、如何にもグリニッジ・ヴィレッジ系のフォーク・ロック、あるいはドゥワップ育ちのブリル・ビルディング系ポップ・アルバムといった佇まいだが、ちょっとサイケな色合いがあったり、ビートルズ風味を感じたり…。実はロンドン録音に使ったのは、ジョージ・マーティンのエアー・スタジオだったのも影響しているのかな? 後にマイケルとロバートがプロデュースするR&B系ヴォーカル・グループ:ブラック・アイヴォリーや、レーベル・メイトのウィスパーズが取り上げる<You're What's Been Missing From My Life>をココで早々に歌っていたのも興味深い。

その『GATELY'S CAFE』から1年を空けず、同じ72年中に制作された2作目が『GATELY:STILL ‘ROUND』だ。丸メガネにフサフサの髭、そしてそれを丸く取り囲む家族や友人、音楽仲間たちのピンナップ。更にふくよかな風貌とレコードがクルクル回る、なんて自虐も併せて考えれば、彼のソフトな音楽の味わい方が直感的に理解できる。そこで「はぁ〜」と思ってしまう人は、もう帰ってヨシ

こちらはマイケルとロバートのセルフ・プロデュースで、地元ニューヨークでの録音。デヴィッド・スピノザ(g)、ジョン・トロペイ(g)、リック・マロッタ(ds)ら、ジャズに明るい経験豊富なセッション・ミュージシャンが参加している。サイケやビートルズ・エッセンスが消えてソフト・ロックやラウンジーなテイストが濃くなったのは、こうした陣容が紡いだアンサンブルと自前の制作でグリニッジ・ヴィレッジの空気がそのまま作品に生かされたからだろう。実際アル・クーパーの名は、スペシャル・サンクスへのクレジットに留まっている。ろくにヒットも出てないうちに速攻で2作目を作ったのは、きっとクーパー・プロデュースの1作目に、ビミョーな違和感を抱いたからに違いない。愛すべき太っちょ、マイケルの剽軽なキャラクターが感じ取れるのも、この2作目ならでは味わいだ。

…とはいえ70年代後半は2人とも表舞台から遠ざかり、ロバートは建築現場や郵便配達で、マイケルはハリウッドのレコーディング・スタジオの警備員で生計を立てていたらしい。それでもロバートは79年に<Sad Eyes>を全米No.1にして復活。が、マイケルは消息が掴めぬまま、アル・クーパーの82年作『CHAMPIONSHIP WRESTLING』で突然弔意が示された。享年39歳で、心臓病が原因とか。

あまりの早逝は残念極まりないが、このところ繰り返されるソロ作復刻やプレAOR再評価を、彼は空の上からニヤニヤして見下ろしているのだろうな。