stevie_music on my mindtonto
prism 1prism 2prism_surpriseprism_celebrate

お仕事関係で数人の会食@渋谷。普段はクルマ移動の人なので、電車へ都内へ出向くのは今年2度目。でも渋谷駅とその周辺の変貌ぶりには驚くばかりで、半ばお上りさん状態だった。そして何より、人の多さに驚愕。マスク姿なのを除けば、ココには既に日常が戻ってきているみたいで、とてもコロナ下とは思えない。これでは第4波の感染拡大は収まらず、五輪中止へ真っしぐら? イヤ、元々自分はコロナがなくても、スポーツや復興をダシにした利権金権まみれの五輪なんて要らない、と思っていたのだけれど…。何れにせよ、久々に仲間に会っての会食は、今の日常にあまりストレスを感じていないカナザワでも、やっぱり鬱憤が晴れます。でも家に戻ってほろ酔いでPCを開けたら、国内外から悲しい訃報が相次いで…

まず海外から飛び込んできたのは、スティーヴィー・ワンダーが最もクリエイティヴだった時期に、シンセ・プログラマー/コラボレイターとして活躍したマルコム・セシル死去の報。相棒のロバート・マーゴレフと共同開発したTONTO(The Original New Timbral Orchestra)を使って、TONTO’s Expanding Head Bandなるスタジオ・プロジェクトをスタート。間もなく若き日のスティーヴィーの目に留まり、72年作『MUSIC ON MY MIND』を皮切りに約4年間タッグを組み、スティーヴィーの代表作『TAKING BOOK』『INNERVISIONS』『FULFILLINGNESS FIRST FINALE』で彼の右腕を務めた。他にもクインシー・ジョーンズ、ギル・スコット・ヘロン、アイズレー・ブラザーズ、クリス・レインボー、スティーヴ・ヒレッジらと共演。シンセサイザーの先駆者として活躍した。享年84歳。

そしてもうひとりは、プリズムのリーダーで、和製フュージョンの立役者であるギタリスト:和田アキラ逝く、の報。ツアー先で体調を崩して闘病生活に入って、もう1年半以上になるか。最近はファンとの交流にも熱心で、復帰が待たれていたが、28日、敗血症による多臓器不全のため力尽きた。享年64歳。葬儀は遺族と近親者で執り行ない、後日お別れ会が催される。

プリズムは75年に結成され、77年にデビュー。前評判が高く、期待を集めてのデビューだったが、四人囃子を抜けた森園勝敏がレコーディング途中からメンバーになり、俄然注目度が高くなった。彼らの人気沸騰はカシオペアやザ・スクエアに先んじてのことで、カナザワも初の和製フュージョン・バンドとして聴き込んだクチ。和田アキラと渡辺建との双頭ユニットへ変貌していく80年代中盤までは、シッカリ追い掛けて聴いたものである。特に愛聴したのは、1st『PRISM』と2nd『SECOND THOUGHT / SECOND MOVE」、メンバー交替後のスタジオ盤4作目『SURPRISE』。この時のメンバーは和田、渡辺建、青山純、佐山雅弘だから、これで4人中3人が鬼籍に入ってしまった。その前に出た2枚組ライヴ盤は、オリジナル・ドラマーの鈴木徹とポンタさんのツイン・ドラムだったな。そしてアキラさんさんを最後に観たのも、18年4月のポンタさん『音楽境地』のステージだった((当時のLive Report)

雲上のポンタさん。
「おぉ、アキラ! なんだ、お前も来ちまったか。じゃあ佐山呼んで、青山とダブル・ドラムでプリズム演るか? ベースは青木(智仁)引っ張ってくっからさ。じゃなきゃ、松岡さんや(大村)憲司入れて、ウィシングでもイイし、深町さんとKEEPやるなら叩いてやるぞ」
なんて…

どちら様も Rest in Peace...