Al_Schmitt

Facebookで既報の通り、世界的に著名なレコーディング・エンジニアのレジェンド、アル・シュミットが、4月27日に亡くなった。50年代からキャリアを築き、グラミー賞を23回受賞。2015年にはハリウッドのウォーク・オブ・フェイムに名を連ねている。現時点では死因は明らかにされていないが、少し前に誕生日を迎えたばかりで、その頃はまだ元気そうだった、という話も。享年91歳。

アル・シュミットことAlbert Harry Schmittは、19歳の時にスタジオの見習いエンジニアとして業界入り。デューク・エリントンのレコーディングなどに携わったのち、50年代後半に L.A.に移ってRCAと契約。ヘンリー・マンシーニやエルヴィス・プレスリー、ローズマリー・クルーニーなどの録音を手掛けた。しかし60年代はプロデュース・ワークが増え、サム・クックやジェファーソン・エアプレインなどを担当。フリーランスに転身したところ、ブルー・サムを立ち上げたばかりのトミー・リピューマに誘われ、エンジニアの仕事に舞い戻っている。

読了したばかりのベン・シドラン著『トミー・リピューマのバラード』には、その頃のコトがシッカリと書かれていて。それによれば、アル・シュミットとリピューマは、互いに一介のレコード・マンだった頃からの長年の知り合い。アルが録音の仕事を始めた頃は、レコードの多くはラジオのスタジオで録られるのが普通で、エンジニアもレコード専門ではなかった。しかし彼はL.A.に移る頃までに次々と新しい録音技術を開発、バス・ドラムに初めてマイクを付けたのもアルだったという。

リピューマが初めてアルに仕事を依頼したのは、デイヴ・メイスン『ALONE TOGETHER』(70年)。既にミキシングから遠ざかって8年以上経過していたため、最初は引き受けるかどうか躊躇していたアルだったが、「自分の仕事に納得できなければ自主降板。もし君が気に入らなければ、優しい言葉で伝え欲しい」と条件を出し、やっとコンソールの前に座った。

でも結果的に大成功。アルは、自分が好きなのはレコーディングとミキシングであって、面倒な交渉ごとが多いプロデュースは自分の仕事ではない、と強く認識。そこから45年近くに及ぶリピューマとの蜜月関係が始まった。アルの元には、続けてジャクソン・ブラウンからも録音依頼が入り、そのアルバム『LATE FOR THE SKY』も大成功。彼の録音エンジニアとしてのキャリアが、本格的にスタートしている。

デイヴ・メイスン『ALONE TOGETHER』はブルー・サムにとって初ヒットで、リピューマにとって大きな転機を刻んだ作品。「僕のキャリアにおけるハイライトのひとつ」とも発言している。でもそれは音の匠であるアル・シュミットにとっても同じだった。

リピューマはエンジニアの役割について、こう解説している。
「プロデューサーとは映画監督のようなものだと思うんだ。楽曲は台本と同じで、まずは楽曲自体が素晴らしくなくてはならない。ミュージシャンも映画のキャスティングと同様に重要だ。どんなに腕のいいミュージシャンであっても、与えられた役割りが合っていなければうまくいかない。そして最後に、映画では撮影技師がイメージを捉えるけれど、レコーディングで音を捉えるのはエンジニアの責任。レコードが成功するか否かは、すべてサウンドに掛かっているんだ」

ジョージ・ベンソン、マイケル・フランクス、アル・ジャロウ、スタッフ、ランディ・クロフォード、ナタリー・コール、ダイアン・シューア、ダイアナ・クラール、そしてサー・ポール・マッカートニーといったリピューマ・ワークスを筆頭に、フランク・シナトラ、アース・ウインド&ファイアー、クインシー・ジョーンズ、スティーリー・ダン、リンダ・ロンシュタット、ケニー・ロジャース、ボズ・スキャッグス、バーブラ・ストライサンド、TOTO、マドンナ…、日本勢でもYMOにカシオペア、尾崎亜美、喜多郎、矢沢永吉、加藤和彦などなど、その仕事の多さは、まさに星の数ほど。

またひとつ、音楽シーンの巨星が堕ちてしまった。
Rest in Peace.