steve miller band live

スティーヴ・ミラー・バンドの全盛期、『FLY LIKE AN EAGLE(鷲の爪)』『BOOK OF DREAMS(ペガサスの祈り)』を立て続けにヒットさせた直後の "Book Of Dreams 1977 Tour" から、77年8月3日@メリーランド州ランドオーヴァーにあるキャピタル・シアターでのライヴ録音。とにかく凄まじい人気を誇った時期なので、当然どこもライヴは大入り。逸早くレーザー・ショウを取り入れてツアーを回っていたことも手伝って、ライヴ・アルバムの企画が持ち上がり、この屋内アリーナでのショウをミラーが自費でテスト・レコーディング(映像も)したという。しかしミラーはこのツアー後、約3年間のロング・ヴァケーション。テープは長く行方不明になっていたが、近年のアーカイヴ作業の中でマルチテープが発見されたという。

それにしても、この全盛期ライヴ、メッチャ良いじゃないですか

どうもスティーヴ・ミラー・バンドって、キャリアや実績の割に捉えどころがないように感じていて、ちょっと見縊っていたのよね。そりゃー60年代から活動していて、67年のモントレー・ポップ・フェスティバルに出演したり、ボズ・スキャッグスやベン・シドランを輩出したりと、サンフランシスコの重鎮バンドなのは理解している。70年代も早くから黒人ミュージシャンを起用して、時代の変化を先読みしていた。でもオンタイムで彼らを知ってる人ならともかく、『FLY LIKE AN EAGLE』『ペガサスの祈り』で初めてスティーヴ・ミラー・バンドを知った世代としては、ポップ・ロックでもブルース・ロックでもアメリカン・ハードでもなく、悪くはないけど決定的な魅力に乏しい、中途半端なバンドに映っていた。曲名に因んで “スペース・カウボーイ” なんて呼び名もあったけど、プログレ勢のコズミック感覚に比べたらチャンチャラ可笑しく。「どうしてこんなに売れてるの? よく分からん…」などと、ナドト…

そしてしばしのオフから戻ってきたら、突然<Abracadabra>が全米No.1になっちゃって。ここから入った世代は、また別の見え方なんだろうけど。ただ『FLY LIKE AN EAGLE』『ペガサスの祈り』を知ってると、また逆に、こんなポップなお遊びをやるバンドじゃないだろーッ、なんて自分の思い込みで。そのあと82年のツアーを録った『STVE MILLER BAND - LIVE!』が出たが、如何にも80'sっぽいグレイテスト・ヒッツ・ライヴで、軽量感が拭えなかった。だからスティーヴ・ミラーといえば、ベン・シドランが制作したソロ・アルバムで、ジャジーAOR系のカヴァーを収めた『BORN 2B BLUE』(88年)が一番でしょ!と。

でもそうした疑問や違和感が、この発掘ライヴで見事に氷解。バンドといいながらメンバーの出入りが多く、半ば当時のスティーリー・ダンみたいな活動形態だったけど、バンド・ラインナップも確認せずに聴き始めたら、いきなりダブル・ハープの絡みで一気に意識を持って行かれた。そうか、この時期は名手ノートン・バッファロー(09年没)がいたのだな。ベースはオリジナル・メンバーの出戻りロニー・ターナー。ドラムスはもちろんミラーの片腕ゲイリー・マラバー。そして何よりこの時期はギタリストが2人いて、ミラー含めてトリプル・ギター編成だったのだ。このラインナップは、『FLY LIKE AN EAGLE』発表後のツアーからの、ホンの短い間だけ。つまり、スティーヴ・ミラー・バンド全盛期の中でも、一番のハイライト・ショウの記録ということになる。

それだけにノリノリのステージが展開されて…。スタジオ盤では届きにくかったミラー自身も魅力もダイレクトに伝わって、ああこのバンドは早すぎたヒューイ・ルイス&ザ・ニュースなのか、と思ったり。つまり中庸の魅力をシスコ流儀の粋で表現する感覚。ハープ奏者を置くあたりも、コダワリの強さを感じる。レパートリーも、クリームだの、フリーだの、ジェイムズ・ギャングだの、レーナード・スキナードだのと元ネタが分かるような耳馴染みのあるリフの楽曲が多いんだが、それをうまく咀嚼しているから、目くじらを立てるより笑って楽しんじゃおう、となる。そこが如何にもアメリカ的。フリートウッド・マックやピーター・フランプトン同様、70年代後半の(米国でいう)ソフト・ロック隆盛で波に乗った感はあるが、彼らもまたライヴ・パフォーマンスで人気を高めた連中だったのかも。

とにかく、コレを聴かずして、スティーヴ・ミラー・バンドに難癖つけるべからず、です。反省