rick laird

フュージョン黎明期、というよりクロスオーヴァー時代の名グループ:マハヴィシュヌ・オーケストラで活躍したベース・プレイヤー、リック・レアードが4日に逝去。グループ首謀者ジョン・マハヴィシュヌ・マクラフリンがSNSで、「私たちには素晴らしい思い出がある。寂しいことだ」と、訃報を伝えている。享年80歳。

レアードは1941年、アイルランドのダブリン生まれ。幼少期からピアノやギターのレッスンを受け、母親の影響でジャズ好きに。 16歳でニュージーランドに移住し、エレキ・ベースを手にして、ポップスやロックを演奏し始める。しかしジャズへの思い断ち難く、アップライト・ベースに転向。活動の場を求めて隣国オーストラリアのシドニーに渡り、彼の地のジャズ・シーンに飛び込んだ。

62年に渡英。有名なジャズ・クラブ:ロニー・スコットのハウス・ベーシストに採用され、ウェス・モンゴメリー、ベン・ウェブスター、ソニー・スティット、フレディ・ハバードらをサポートしながら、ロンドンのギルドホール音楽演劇学校でクラシックのコントラバスを学んでいる。ブライアン・オーガーと知り合い、結成間もないトリニティに参加したのもこの頃。そのオーガーを通じてマクラフリンに出会ったり、ソニー・ロリンズとも共演している。しかし勉強熱心だったレアードは、米バークリー音楽院に奨学生として入学して作編曲を習得。68年頃にはメル・トーメやズート・シムズのツアーに付き、70年代に入ってバディ・リッチのバンドでプレイするほどになった。

それから間もなく、トニー・ウィリアムス・ライフタイムを抜けたマクラフリンから新グループに誘われ、マハヴィシュヌ・オーケストラの結成メンバーに。最初のラインナップが瓦解する73年まで在籍し、世界的注目を浴びている。ただし、ウェザー・リポートのミロスラフ・ヴィトウスやジャコ・パストリアス、リターン・トゥ・フォーエヴァーのスタンリー・クラーク、ハービー・ハンコックのヘッドハンターズにいたポール・ジャクソンのようなスター・プレイヤーに比べ、レアードは些か地味。マハヴィシュヌ後もスタン・ゲッツやチック・コリアとプレイしたが、過酷なツアーが性に合わなかったらしく、後進の育成に回って、多くのベース教本を執筆。また写真家として名を成し、ミュージシャン時代の知己を生かしてマイルス・デイビスやウェイン・ショーター、チック・コリア、エルヴィン・ジョーンズ、キース・ジャレットなどを撮ったアーカイヴで知られている。

上掲『SOFT FOCUS』は、彼が77年にオランダのジャズ・レーベル:タイムレスから発表した唯一のリーダー・アルバム。名手ジョー・ヘンダーソン(sax)、80年代にフュージョン〜スムーズ・ジャズ方面で頭角を現していくトム・グラント(kyd)を含む、生真面目な硬派カルテットによるエレクトリック・ジャズの作品、今でいうコンテンポラリー・ジャズ的内容になっている。広い音域を使って知的かつメロディックラインを弾くあたりがレアードらしいが、元々が実務派らしく、アコピ&エレピを弾き倒すトム・グラントの方がはるかに目立っていて…(苦笑) 逆にフュージョン・アクトとしてのグラントを知る人にとっては、こんなにアカデミックなピアノを弾く人なんだ、と驚くかもしれない、

何れにせよ、ミュージシャンとして成功するには、実力はもちろん縁や運が大事なのは言うまでもないが、性格的な向き不向きも大きいな、と。そんなコトを考えさせられるレアードの訃報だ。

Rest in Peace...