uriah heep_innocent victim

往年のブリティッシュ・ハード・ロックの名グループで、現在も活動を続けているユーライア・ヒープ。しかし昨年から元メンバーの訃報が相次いでいて、9月にドラムのリー・カースレイク、11月に全盛期の実質的リーダー格だったケン・ヘンズレー(g,Kyd)が鬼籍に。そして今度は2代目シンガーだったジョン・ロートンが、6月29日に死去。死因は「病気ではない」としか明かされておらず、家族に看取られたそうだ。享年74歳。

ロートンが最初に名を売ったのは、ドイツのハード・ロック・バンド:ルシファーズ・フレンドに参加して。でも実際は1946年、英国ハリファックス生まれ。彼が参加したストーンウォールなるバンドには、ジョン・マイルズ、ロキシー・ミュージックを結成するポール・トンプソン、ジョーディーのヴィック ・マルコムらがいた。このバンドがドイツのハンブルグにライヴ・ツアーへ行ったが、ロートンはそのままドイツに居残り、そこでルシファーズ・フレンドに参加。70年にデビューして6枚のアルバムを残したのち、アンコール中毒でコンディションが保てずに馘首されたデヴィッド・バイロンの後任として、ヒープに迎えられている。

彼がヒープで作ったのは、77年作『FIREFLY』、78年作『INNOCENT VICTIM(罪なきいけにえ)』(上掲)、78年作『FALLEN ANGEL(堕ちた天使)』の3枚。ヒープといえば、ディープ・パープルとブラック・サバスの中間を行くような伝統的ハード・ロックを聴かせるイメージがあるけれど、この時期はかなりポップでメロディアス、しかも適度にアメリカンナイズされていて、いわゆる産業ロック的ニュアンスがあった。初期のオドロオドロしいサウンドとは雲泥の差があって、彼らの特徴であるハーモニーの美しさが最も有効だった時期だ。メンバーも不動で、今も唯一のオリジナル・メンバーとしてバンドを牽引するミック・ボックス(g)、前述のヘンズレーとカースレイク、そしてデヴィッド・ボウイのバック・バンドだったスパイダース・フロム・マースからロートンと同時期に加入したトレヴァー・ボルダー(b)にロートンの5人。ロートンの死で、このラインアップの生き残りはミック・ボックスだけになってしまった。いやそれどころかヒープの場合は、黄金期のベース:ゲイリー・セイン(75年没)、その後任ジョン・ウェットン(17年没)も亡くなっちゃってるから、ホント、ミック・ボックスだけが生き残って孤軍奮闘している感がある。

ロートンはルシファーズ・フレンド時代に、ロジャー・グローヴァーの『THE BUTTERFLY BALL』に参加しており、その頃から極めて高い評価を得ていた。歌声はロニー・ジェイムス・ディオを少しライトにした感じで、朗々としたハイトーン・ヴォイスが魅力的。実際リッチー・ブラックモアからレインボーに誘われたこともあったらしい。ヒープを離れてからは、ルシファーズ・フレンドに舞い戻ったり、またヒープに再加入したりしたが、70年代ほどの活躍は叶わなかった。その歌唱力からしたら、もう少し知名度が上がってもよかったんだけどな。

Rest in Peace...

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