deon estus

英国を拠点に活動していた黒人ベーシスト:デオン・エスタスが、11日朝に逝去。ワム!の準メンバーで、“第3のメンバー”などと呼ばれ、ワム!解散後もジョージ・マイケルのブレーンとして活躍した。上掲は88年に発表した唯一のソロ・アルバム。ジョージと共作し、そのまま2人でバック・ヴォーカルを取った<Heaven Help Me>が全米5位と大ヒットした。が、その後目立った活動はなかった。享年65歳。

デオン・エスタスはもともとデトロイトの生まれ。ハイスクール時代は地元クワイアで歌いながら、ジェイムス・ジェマーソンについてベースを習っていた。78年に地元ファンク・グループで Tabuからアルバムを出していたブレインストームに加入。前任のラモント・ジョンソンは、ナイトフライト<Easy Come Easy Go>の作者。

ブレインストームで2枚のアルバムを作った後、バンドは解散。デオンはブレインストームのアルバムにサポート参加していたハーヴィー・メイスンのアルバムなど、幾許かのセッション活動のあとに渡英して、ロンドンに拠点を定め、間もなくマーヴィン・ゲイの欧州ツアーに参加している。そしてカムバック・アルバム『MIDNIGHT LOVE』のレコーディング・セッションにも参加要請されたが、スケジュールが合わず不参加。その後ワム!のレコーディングに呼ばれた。大ヒットした<Club Tropicana>のスラップもデオンのプレイ。

唯一のリーダー作となった『SPELL』は、クイック〜ジャイアント・ステップスで知られるコリン・キャンプシーとジョージ・マクファーレンがプロデュースに当たっている。ジャイアント・ステップスのワン&オンリー作『THE BOOK OF PRIDE』(88年)は一部がL.A.録音されていて、ブルース・ガイチがギターを弾いていたり、ジェイ・グレイドンのスタジオででレコーディングされていて、AORファンも要チェック。

一方デオンの『SPELL』には、サイモン・クライミーや、Charのバックで知られるジム・コウプリーも参加。なかなかハイ・クオリティのブリティッシュ・ソウル・アルバムに仕上げていた。それこそ、どうしてコレ一枚で終わっちゃったのかが不思議なほど。ティナ・ターナーやエルトン・ジョン、ジョージ・クリントン、アニー・レノックス、フランク・ザッパ、エドガー・ウィンター、アーロン・ネヴィルなどとも共演歴があったそうだから、もう少し活躍してほしかったな。

現時点では死因は公表されていない。

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