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引き続き、ビクター『マスターピースコレクション〜 CITY POP名作選〜』第2期17作から、と思っていたら、海外から訃報が。ジャーメイン・ジャクソンのプロデュースでモータウン・デビュー(正確にはGordy)したスウィッチのトミー・デバージが急逝。エル・デバージを輩出したデバージ・ファミリー8人兄妹の次男で、長兄ボビーと共にスイッチの主要メンバーを務めた。享年64歳。

トミーは長年、肝臓と腎臓双方を患って闘病していたそうだが、今年に入ってCOVID-19を罹患。それは克服したものの、何か後遺症を引き摺っていたのか、数週間前から入院。21日に亡くなったと伝えられる。直接の死因は不明。

78年にデビューしたスウィッチは、バリー・ホワイトのプロデュースで75年にアルバムを出している大所帯グループ:ホワイト・ヒートが母体。ボビー・デバージ、フィリップ・イングラム(ジェイムス・イングラムの弟)らスイッチの主要メンバーはみんな在籍していたようだが、その後メンバーの軽量化が図られ、ホット・アイス〜スマッシュと名義を変えていく過程でボビー・デバージの弟トミーが加入。6人組スウィッチとしてデビューしている。上掲78年の1st ジャケでいうと、タイトル下の左から2人目がトミー。ステージ写真ではセンターでベースを弾いている。

スウィッチはGordyでコンスタントに5枚のアルバムを発表したが、トミーは4枚目『THIS IS MY DREAM』(80年)まで参加。兄ボビーやフィリップ・イングラムはその次の『SWICH V』まで参加したが、その後フロント全員が入れ替わり、Total Experienceへ移籍してもう1枚。ド派手な活躍はなかったが、Gordy時代はジャーメイン・ジャクソンの後ろ盾も手伝って、熱心なソウル・ファンに愛されたグループだった。

一方でデバージ・ファミリーは、常にジャクソン一家を追いかける存在で。ボビー、トミーのスイッチ組の上2人に、ランディ、マーク、エルドラ、ジェイムスに紅一点のバニーという下5人のデバージ組。そして更にその下の末弟チコは、ソロで活躍した。グループとしてのデバージは、エルとバニーの独立後、長兄ボビーと残った3人の新体制になった時期もある。ジェイムスは一時的にジャネット・ジャクソンと結婚。

現在はエルの動向が時々入ってくる程度だが、彼は本当に才能豊かで、素晴らしい作品が多いので、もっと活躍して欲しいところ。トミー自身はデバージへの加入歴はなく、サポート参加に止まっていたようだ。

Rest in Peace...