月初めにTIMという発掘音源の国内仕様盤を紹介したら、殊の外 好評で、ヴォーカルのトム・グリフィンが在籍していたトリリオンにも注目が集まっている様子。アルバムは2枚しか出しておらず、しかもトム・グリフィンは2枚目にしか参加していないが、ちょうど9月に、78年の1st 『TRILLION(氷牙)』が紙ジャケ再発されているので、ちょっと触れておきたい。初CD化は98年。当ブログでは、2010年の海外再発時(国内仕様盤も出た)に取り上げている。(http://lightmellow.livedoor.biz/archives/51645659.html)
トリリオンは、TOTOの2代目シンガーであるファーギー・フレデリクセン(本作ではデニス・フレデリクセン)の出身バンドとして注目された。でも実際の中心人物はキーボードのパトリック・レオナード。後にマドンナやピーター・セテラ、ブライアン・フェリーなどのプロデュースで名を挙げ、リチャード・ペイジとのユニット:サード・マチネーでもウルサ方から注目された。トリリオンがアメリカン・プログレとして扱われるのも、パトリックがクラシックや現代音楽の素養を持っていたから。このアルバムのオープナー<Hold Out>のイントロのシンセなんて、ほとんどエマーソン・レイク&パーマーみたいだ。
拠点がシカゴということで、サヴァイヴァーやスティクスにも近いところにいた彼ら。トミー・ショウが当時いたバンドからスティクスに引き抜かれた時、彼が後任にファーギーを推薦した、という話もある。またイリノイ出身のCCMシンガー:スティーヴ・キャンプの78年デビュー作は、トリリオンやTIMのメンバーがこぞって参加していた。
デビューがボストンと同じEpicというコトで、レーベルも当然、第2のボストンを期待しただろう。でもボストンに比べると楽曲が相当に複雑。メロディよりも様式美にコダワっているのが如何にもプログレ志向っぽく…。裏を突くようなアレンジは確かにスリリングだし、コーラスはクイーンを思わせたりする。でもプログレ好きには堪らない音でも、全米のポップ・ロック・リスナーを捉えることはできなかった。
そしてファーギーが脱退。彼はデヴィッド・ロンドン名義で81年にソロ・アルバムを出し、かのエンジェルにも参加したコトがあるそうだ。しかしアルバムは残せず、ル・ルーを経てTOTOへ。一方でファーギーを失ったトリリオンは、地元で歌っていたトムを後任に迎え、第2作『CLEAR APPROACH』を発表した。あまり注目されないが、作品としてはコチラの方が聴きやすい。…とはいえコレもヒットはせず、トリリオンは消滅。それでも後にアメリカン・ロック・シーンの各所で活躍することになるミュージシャンたちが、その実力の片鱗を覗かせていたのは確か。そういう耳で聴くと、結構面白いのよ。
拠点がシカゴということで、サヴァイヴァーやスティクスにも近いところにいた彼ら。トミー・ショウが当時いたバンドからスティクスに引き抜かれた時、彼が後任にファーギーを推薦した、という話もある。またイリノイ出身のCCMシンガー:スティーヴ・キャンプの78年デビュー作は、トリリオンやTIMのメンバーがこぞって参加していた。
デビューがボストンと同じEpicというコトで、レーベルも当然、第2のボストンを期待しただろう。でもボストンに比べると楽曲が相当に複雑。メロディよりも様式美にコダワっているのが如何にもプログレ志向っぽく…。裏を突くようなアレンジは確かにスリリングだし、コーラスはクイーンを思わせたりする。でもプログレ好きには堪らない音でも、全米のポップ・ロック・リスナーを捉えることはできなかった。
そしてファーギーが脱退。彼はデヴィッド・ロンドン名義で81年にソロ・アルバムを出し、かのエンジェルにも参加したコトがあるそうだ。しかしアルバムは残せず、ル・ルーを経てTOTOへ。一方でファーギーを失ったトリリオンは、地元で歌っていたトムを後任に迎え、第2作『CLEAR APPROACH』を発表した。あまり注目されないが、作品としてはコチラの方が聴きやすい。…とはいえコレもヒットはせず、トリリオンは消滅。それでも後にアメリカン・ロック・シーンの各所で活躍することになるミュージシャンたちが、その実力の片鱗を覗かせていたのは確か。そういう耳で聴くと、結構面白いのよ。