david sancious

主にキーボードとギターをこなす黒人マルチ・プレイヤー、デヴィッド・サンシャスのデビュー・アルバムが、紙ジャケットで9月末に国内発売された。自分は以前、海外でCD化された時に持っていたけれど、この職人的ミュージシャンのアルバムが日本でCD復刻されたことに、まずビックリ。そしてその復刻が、【プログレッシヴ・ロック紙ジャケット・コレクション Vol.3 アメリカン・ロック編】として組まれたことに、2度ビックリ。だって自分の中では、デヴィッド・サンシャスといえば、完全に“ジャズ”の人だったから。

でも確かに、一筋縄では行かないキャリアの持ち主ではある。最初に表舞台に立つようになったのは、ブルース・スプリングスティーン&E.ストリート・バンドの初期メンバーとして。ニュージャージー州アズベリー・パーク生まれのサンシャスは、15歳の頃から地元のスタジオでセッション・ミュージシャンとして働き始めた一方で、リトル・スティーヴン(スティーヴ・ヴァン・ザント)を中心に動いていた地元バンドにも深く関わり、その流れでブルースとも一緒にプレイするようになった。当時のドラマー:アーネスト・カーターも、同じスタジオに出入りしていたセッション仲間で、サンシャスがブルースに紹介。そのカーターとサンシャスが、現在もブルースの下でプレイしているベースのゲイリー・タレントとグループを組んでいたこともある。

そして74年、やはりアズベリー・パークのクラブでプレイしていたジェラルド・カーボーイ(b)をスカウト。カーターとのトリオ編成で作ったのが、この75年作『FOREST OF FEELINGS』になる。ギターと鍵盤両刀使いのサンシャスは、ジミ・ヘンドリクスとエマーソン・レイク&パーマーを合体させたようなバンドを指向していて、それを実践したのだ。エピックと契約できたのは、ブルースの口添えがあったからだという。

ただその内容は、ジミ・ヘンやELPに比べると、もっとジャズ寄りで変拍子がビシビシ、モア・テクニカル。簡単にいえば、マハヴォシュヌ・オーケストラやリターン・トゥ・フォーエヴァーに、時折イエスやジェネシスのようなシンフォ・プログレの要素が混じる。モーグでソロを取ればキース・エマーソンを髣髴させ、ギターに持ち替えれば、よりエモーショナルに弾き倒す。プログレ界広しといえども、リード楽器の両翼であるキーボードとギター両方をここまで饒舌にプレイできる人はほとんど皆無。ジャズ・シーンなら尚更だ。しかもそれが、いろいろな差別を受けてきたであろう米国のアフリカン・アメリカンであることに、驚きを禁じ得ない。プロデュースは当時マハヴィシュヌにいたビリー・コブハム。この人選はレーベルの提案だったそうだが、まさに的確なチョイスである。アルバム看板曲で9分近い大曲<Suite Cassandra>は、当時サンシャスが恋心を抱いていたクラレンス・クレモンズ(E.ストリート・バンドの名物サックス奏者)の従姉妹カサンドラをテーマにしたものだそうだ。

本作発表後ツアーに出た3人は、新たにデヴィッド・サンシャス&トーンと命名され、アリスタ移籍を挟んで3枚のアルバムをリリース。終盤にはブライアン・オーガーやサンタナでお馴染みのアレックスリジャートウッドをシンガーに迎えたり、イエスを手掛けたエディ・オフォードをプロデューサーに据えたりも。その後のソロに転じ、81年には『THE BRIDGE』なるピアノ・ソロ作も残している。しかしトーンを率いてツアーに出ると、サンシャスの才能が明るみに出て、各方面から引く手数多に。真っ先に声を掛けて来たのが、レニー・ホワイトとスタンリー・クラーク、ナラダ・マイケル・ウォルデン。80年代に入るとそのセッション活動は、グレアム・パーカー、ジャック・ブルース、コージー・パウエル、ビリー・スクワイアー、ジョン・アンダーソン…と多岐に渡るようになった。中でも押さえておくべきは、ナラダのブレーンとしてアレサ・フランクリンから荻野目(洋子)ちゃんまでプレイしていること。更にサンタナ、ピーター・ガブリエル、スティング、ジェフ・ベックあたりと有名処のツアー・メンバーを務めているので、そこで彼の名に触れた人も多いことだろう。AORファン的には、ロビー・デュプリーとの複数来日およびミニ・アルバムのリリースが気になるところか。

自分もロビーとの来日時に、楽屋でサンシャスと顔を合わせたことがあるが、これほどの多彩な顔、豊富な経験をおくびにも出さず、穏やかな笑顔を絶やさない印象が。ただソロ・アーティストとして大成するには、少し優しすぎたのかもしれないなぁ。