silk sonic

超話題、ブルーノ・マーズとアンダーソン・パークによるシルク・ソニック。もちろん我が家にも届いてます。リリースと同時にサブスクで聴いていたが、CDを注文しようとしたら、相方が既にTシャツ付きCDをネット・オーダー済み。それが一般発売から約2週遅れて、先日到着した。内容については、もうアチコチで絶賛されているので、今更ココに書くまでもないと思っていたが、その一方でこのアルバム/ユニットについての立ち位置については、少し触れておくべきなのかな、と。

リード・トラック<Leave The Door Open>が完璧なフィラデルフィア・ソウル・マナーだったから、そういうユニットなのかと思いきや、アルバムを聴くと、P・ファンクもノーザン・ソウルもスティーヴィー(ワンダー)もアース・ウインド&ファイアーも…。つまりは70年代〜80年代初頭のR&B/ブラック・ミュージック全般をリスペクトするユニットで。ブルーノがソロでやってきたことを、アンダーソン・パークという助っ人を経て、より強靭かつ広範に、そして非黒人の搾取と攻撃されたことに対する無言の返答の意も込められているだろう。演っているのは往年の黒人音楽でも、この70年代〜80年代の音楽シーンは、白人と黒人の距離感が最も近かったシアワセな時代であるから、そうした音楽背景も引っ括めての温故知新。

でもをそれを、小難しく声高にメッセージとして唱えるのではなく、“楽しいコト やろうゼ” というスタンスで押し通す。“オレたち、こんな昔の音楽が大好きなんだ。皆んなもそうだろ? じゃあ一緒にやろう”。プロモーションにソウル・トレインのセットを使ったりして、壮年世代のノスタルジアと若年層の憧憬をイタく刺激しながら、暗い世相に明るく能天気なエンターテイメントを提示していく。パロディというと、そこに強い批評精神を感じるが、それさえもオブラートに包んでいるくらいの、享楽的パーティ感覚。面白そうならトライしてみる、そんなノリの良さが身上だ。

当然のことシルク・ソニックの音楽は、今のミュージック・シーン最先端のスタイルではない。でもマーケティング戦略やセールス・プランに絡め取られながら、マーケットありきで作られては消えていく音楽に、何の創造性や価値があるのだろうか? 分断や人種差別といった社会問題を攻撃するのは悪いコトではないけれど、それで本当に世の中は良くなるか。ネガティヴな連鎖を生んでいくだけではないのか? そうした理屈以前に、もっと単純にワン・ネーションを築ける方法はないのか。その答えの一端が、シルク・ソニックだと思える。根底には多くの熱い想いやこだわり、あるいは思想が渦巻くが、それらを一旦封印して、大きなエンターテイメントに徹する。黙っていても分かる人には伝わるし、ここで一緒に楽しんでいくるうちに、よく分かっていない人にも「気づき」を与えられればそれでイイ。そんなスタンスなのではないか。

そもそも、来年だったアルバム・リリース予定を前倒したことが、如何にも彼ららしいコトではないか。当初のリリース・プランを投げ打って、“みんなが聴きたがっているなら…” と。もちろん<Leave The Door Open>が予想を超えるリアクションを得たコトが大きいだろうけど、スケジュールなんてクソくらえ、「鉄は熱いうちに打て」の言葉通り、速攻で次の手を講じた。それが生身の音楽シーンのダイナミズム。ライヴ・バンドにあってプログラムにない、ミュージシャンにあって経営陣にないところだろう。自分の音楽ライフがAIのビッグデータにコントロールされるようになっていくなんて、心の底から真っ平御免だ。

アルバムの内容について知りたい方は、是非とも林 剛クンが Mikikiに書いた素晴らしいレビュー(こちらから)をご覧いただくとして。でも、とっくの昔に現行ソウル・シーンについて行けなくなってる自分を含め、こうしたマニアックな知識やウンチクを知らずとも、心の底から愛せるのが『AN EVENING WITH SILK SONIC』。その点では、既に名作の条件を充分に満たしている。シーンの最先端でいることが、売れることの必須条件ではない。それををハッキリ証明した作品でもある。肝心なのは、どんな音楽を、どのタイミングで、誰に向けて発信するか。

何だか、新庄ビッグ・ボスが、シルク・ソニックの2人に重なって見えてきた…