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7日の外出前に届いた訃報は、ロンドンから。ロック・シンガーのジョン・マイルズが5日に逝去したことを、家族が明らかにした。死因は現時点では不明ながら、割と急だったらしく、倒れてから短い闘病で逝ったという。本名ジョン・エリントン。アラン・パーゾンズ・プロジェクトやジミー・ペイジのソロ・アルバムでも歌っている。享年72歳。

ジョンは1949年、イングランド北東部に位置するダラム州ジャロー生まれ。10代の頃に参加した地元ローカル・バンドでは、ロキシー・ミュージックのドラマーになるポール・トンプソンと一緒だった。70年代に入って、自分のバンド:ジョン・マイルス・セットを結成。長き渡って作曲チームを組むボブ・マーシャルをメンバーにしている。

76年、アラン・パーソンズがプロデュースするアルバム『REBEL』でデビュー。するといきなりアルバムが全英チャート9位、シングル<Music>は全英3位のヒットになった。続く『STRANGER IN THE CITY』『ZARAGON』は、何とルパート・ホームズのプロデュース。まだルパートがソロ・アーティストとして成功する前、ちょうどバーブラ・ストライサンド『LAZY AFTERNOON』、セイラーやストローブス、スパークスなど、少々クセの強い連中を率先して制作担当していた時期である。

ジョンはその後もコンスタントにソロ作を続けたが、残念ながら大きなヒットには恵まれず。83年にエルトン・ジョンでお馴染みのガス・ダッジョンにプロデュースを託して作ったのが、AOR色が濃くなった『PLAY ON』(83年)である。イメージとしては、やはりアラン・パーソンズのところで歌っているクリス・レインボーやレニー・ザカテクに近いか。これは拙監修ガイド本『AOR Light Mellow』でも、初版本(99年発行)からUK AOR系の好盤として掲載している。

そのあと、アラン・パーソンズ・プロジェクトの85年作『STEREOTOMMY』で3曲、87年作『GAUDI』で2曲、リード・ヴォーカルを担当。健在ぶりをアピールした。更に88年にはジミー・ペイジのソロ・アルバム『OUTRIDER』に参加し、ジミーと2曲共作。リード・ヴォーカルも披露し、ペイジのツアーにも帯同した。そのほかティナ・ターナー、ジョー・コッカーらのレコーディングに参加し、ツアー・サポートも。10年ぶり、93年に出したソロ作『UPFRONT』も、少しハードなロック・スタイルに回帰したが、内容はなかなか。が、それを最後にソロ・アルバムは途絶えたまま。とはいえ引退したワケではなく、マイペースで断続的に地道な活動に行なっていたよう。コロナ禍でライヴ・ツアーのキャンセルを強いられた昨年も、リモートで、オーケストラとの共演による<Music>を新録していたそうだ。

アラン・パーソンズの追悼コメント。
「私の良き友人であり、音楽の天才であるジョンが亡くなったという知らせを聞いて、とても悲しく思っています。世界中で大ヒットし、大人気のコンサート“Night Of The Proms”のアンセムとなった“Music”をはじめ、史上最高のヴォーカル・パフォーマンスのいくつかをジョンと一緒に制作できたことを、僕はとても誇りに思っています。僕がアラン・パーソンズ・プロジェクトのアルバムにジョンを招いたときも、彼はいつも魔法のような繊細な歌声を披露してくれました。彼は、多くの友人や関係者だけでなく、彼の素晴らしい才能を認めている何百万人ものファンからも惜しまれています」

Rest in Peace...