glad

かのティモシー・B・シュミットが、ポコ加入前に在籍したグラッド唯一のアルバム『FEELIN' GLAD』が、韓国BIG PINKで紙ジャケCD化され、その輸入盤国内仕様が出た。リリースは1968年。ポコはカントリー・ロックの名門として知られるが、年代が年代だけにそこには届かず、ちょっぴりサイケなフォーク〜ソフト・ロック〜ハーモニー・ポップ仕様。当時は、“サクラメントのビートルズ” なんて呼ばれ方もされたそうだ。

4人のメンバーのうち3人は、サクラメントのハイスクール同級生。母体は60年に結成したキングストン・トリオ風のフォーク・トリオで、ドラマーを加えてサーフ・ロックに移行。ビートルズ旋風の洗礼を受けて、ティモシーのヴォーカルを中心に据えたガレージ・ベンドへと進化し、65年にニュー・ブリードの名でデビュー。最初のシングルのB面曲は、レノン=マッカートニー初期楽曲のカヴァーだった。

地元ではそこそこ成功し、将来も嘱望されたニュー・ブリードだったが、音楽性がブルースに近づいたり、所属レーベルがコケたりして苦戦。67年末には拠点をL.A.に移し、テリー・メルチャーのイクイノックスと契約。プロデュースはサクラメント時代から付き合いのあったエリック・ヴァンバーグに決まり、このアルバムが作られた。このヴァンバーグはノルウェー出身で、渡米してUCLAで電子工学を学び、ハリウッドでレコーディング・エンジニアになった人物。ポール・マッカートニーに気に入られて『RAM』や初期ウイングスのアルバムを手掛け、ポールから "Eirik The Norwegian" のニックネームを授かっている。そう、デヴィッド・フォスター率いるスカイラークをプロデュースしたのは、この人だ。

こうして制作は順調に進んだかに見えた。が、思わぬ落とし穴が待っていた。アルバムからの先行シングルが出来上がってくると、バンド名が"GLAD" に変えられていたのだ。これはメンバーの預かり知らぬうちに進められたコトらしく、信頼関係早くも崩壊。アルバムは世に出たものの、その時はもうティモシーのポコ加入が決まっていたという。

残るメンバーも、ソングライティングもほとんどを一手に引き受けていたロン・フローゲル(g)中心に再編され、レッドウイングとして71年にFantasyから再デビュー。ポコに似たカントリー・ロック・スタイルで、5枚のアルバムを残した。イーグルスや数々のセッション・ワークで聴けるティモシーの伸びやかなハイトーン・ヴォイスは、まだ求めるべくもない。けれどドゥーワップした<So Much In Love>のルーツだと考えると、なかなか興味深いモノがある。