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訃報。デヴィッド・フォスターの華々しいキャリアの出発点となったカナダのバンド:スカイラークのシンガーだったドニー・ジェラルドが、現地時間の2月3日、自宅で家族に看取られながら旅立った。ガンで闘病していたという。享年75歳。

スカイラークは、71年にカナダのヴァンクーバーで結成。中心になったのは、ロニー・ホーキンスのバンドで一緒だったフォスターと最初の奥様になるB.J.クックで、リハーサルを経てデモ・テープを作ったところ、たまたまL.A.から来ていたバリー・デヴォーゾンに気に入られ、その誘いでL.A.へ。結局、スカイラークは廻り回ってキャピトルと契約し、デビュー曲<Wildflower>が全米9位の大ヒットになる。73年のことだ。

フォスターによると、ドニーは気難しい人で、ラジオからヒット中の<Wildflower>が流れてくると、チャンネルを変えてしまうようなところがあって、「本当はこういう曲は好きじゃない」と言ったとか。それでもフォスターは、ドニーの味わい深いヴォーカルがこの曲をヒットさせた要因のひとつだと理解していて、時に苛立ちながらも、なんとか上手く付き合っていたらしい。ところが2枚目のアルバムが出る頃には活動状況が悪化。フォスターがセッション活動を始めて忙しくなったこともあり、スカイラークはそのまま解散状態となった。ドニーはエルトン・ジョンのツアーに誘われ、欧州ツアーに参加する一方で、75年にエルトンのロケット・レコードから初のソロ・シングル<Baby Don't Let It Mess Your Mind>(作曲はニール・セダカ)を発表。R&Bチャート65位をマークしている。そして翌年、後にボビー・コールドウェルのマネージャーとなるヘンリー・マークスに見込まれ、彼のレーベル Greedyから初のソロ・アルバム『DONNY GERRARD』(上掲)をリリースするワケだ。プロデュースはヘンリーと、ドニーとは同郷のロビー・ブキャナン(kyd)。アルバムには正式なクレジットはなかったが、CD化の際に、ジェイ・グレイドン(g)、ウィルトン・フェルダー(b)、エド・グリーン/マイク・ベアード(ds)らの参加が明らかになっている。

その後ドニーはフォスターやエルトン人脈も手伝って、セッション活動へ。ベット・ミドラーやエリック・カルメン、リタ・クーリッジ、ブレンダ・ラッセル、イヴォンヌ・エリマン、ピンク・フロイド、ボブ・シーガー、アーロン・ネヴィル、角松敏生、神保彰など、数多くのアルバムで名前が確認できる。フォスター関連では『ST. ELMO'S FIRE』のサウンドトラックや、錚々たる顔ぶれを集めたNorthern Lights(カナダ版U.S.A.foir AFRICA)に参加。最近はメイヴィス・ステイプルズのツアーやレコーディングに参加していたらしい。

ソロ・シンガーとしては些か地味な活動に甘んじたものの、やはり<Wildflower>の名唱は、いつまでも多くのソウル・ファン/ポップス・ファンの記憶に残ることだろう。

Rest in Peace...