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2日続けての訃報。ニューヨークはジャマイカ・クイーンズ出身で、ジャズ・ファンクやR&Bフィールドで活躍したキーボード奏者/シンガー/サウンド・クリエイターのバーナード・ライトが、5月19日、急死した。多くの敏腕ミュージシャンを輩出したこのエリアで、13歳の頃、レニー・ホワイトのバンドでプレイし始め、16歳でトム・ブラウンのグループに。マーカス・ミラーやオマー・ハキムの弟分的存在だった。18歳の時、トム人脈だろうデイヴ・グルーシンのGRPからソロ・デビュー。現在までに6枚のリーダー・アルバムを出している。享年58歳。

1963年生まれだから、自分より3つ年下。故にGRPというフュージョンに特化したレーベルから10代でデビューしたのは衝撃的だった。独立前、アリスタとディストリビュート契約していた頃のGRP(通称アリスタGRP)は、トム・ブラウンを筆頭に、デイヴ・ヴァレンティンやアンジェラ・ボフィル、ドン・ブラックマン、スコット・ジャレットなどが在籍する、ホントに自由主義的な創造力溢れたレーベルだった。それが独立して、徐々にスムーズ・ジャズ寄りに特化していったワケだが、その分裂期、バーナードはトム・ブラウンやアンジェラと共にアリスタ側に止め置かれている。あのクライヴ・デイヴィスのお眼鏡に適ったのだ。

実際デビュー作『NARD』(81年)から天才ジャズ・ファンカーぶりを発揮していたけど、マジでブッ飛んだのは2nd『FUNKY BEAT』(83年)が出た時。ブレイクダンスのジャケを見て分かるように、このアルバムの何曲かは完全にヒップホップを先取りしていて。グランドマスター・フラッシュ<The Message>のヒットが82年末、ハービー・ハンコック<Rock It>が83年半ば。そのハンコックから2〜3ヶ月後には、もう『FUNKY BEAT』を出していたのだ。そのストリート系トラックは ほぼナードとレニー・ホワイトのコラボで、他のジャズ・ファンク・ナンバーとは一線を画していた。そちらにもジャマイカ地区の首領たるウェルドン・アーヴィンとかが参加していたんだけれど。なのでこの初期2作を、世界に先駆けて拙監修で初CD化できた時は嬉しかったな。一方で、82年ごろ渡辺貞夫がナードをディレクターに立てて、同じくGRPからデビューしたばかりのボビー・ブルーム(g)、チャーリー・ドレイトン(ds)らを擁するキッズ・バンドでライヴをやったのを見逃したのは痛恨だった。

その後、新興レーベル:マンハッタンへ移籍して3枚目の『MR.WRIGHT』(85年)を出し、そこから<Who Do You Love>がヒット。これはLL Cool J.らにサンプリングされている。そしてキャメオ、マイルス・デイヴィスのセッションに参加したりした後、満を持してレニーやマーカスとジャマイカ・ボーイズ結成。こりゃー期待大、と思っていたら、ナードは何故か準メンバー扱いで。どうやらこの頃には、結婚して奥様の故郷テキサスへの移住を考えていたらしく、多少のセッションをこなしつつ、自身のフィールドもゴスペルへ移行していくことに。あぁ、もったいない…、と思っていたのは、きっと自分だけではないだろう。近年はRHファクターと共演したり、地元ダラスの音楽シーンにも貢献していたそうだ。

キャリア初期の活躍が華々しかっただけに、テキサスへ拠点を移してからの活動はちょっと寂しくもあるけど、人生は人それぞれ。でもナードが記憶に残るミュージシャンだったことは間違いない。

Rest in Peace...