alan whiteyessongs
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深夜、日付が変わって間も無く飛び込んできた訃報は、イエスのアラン・ホワイトの逝去を伝えるもの。5月26日、シアトル近くの自宅で亡くなったらしい。先日『危機』50周年のジャパン・ツアー決定の報に触れたと思ったら、その後すぐに、アランが体調不良によりツアーには不参加、との告知。元々アランは2016年頃から背中や腰を痛めてマトモにドラムを叩けず、代役ジェイ・シェレンを帯同。19年の来日公演も本編はシェレンが叩き、アンコールにだけ登場した。それと今回の急死に関係があるかどうかは不明ながら、家族や関係筋は “短い闘病生活の末”、と表現しているので、直接的な関係性は薄いのかもしれない。享年72歳。

アランは1949年、英国ダーラム州ペルトン生まれ。6歳からピアノ、12歳からドラムを始め、60年半ばからバンドを移りながら経験を積み、録音を残して、ミュージシャン仲間の間では知られる存在になっていったようだ。その頃からジョン・アンダーソンがいたウォリアーズや、アラン・プライスと共演。ジンジャー・ベイカーズ・エア・フォース、ジョニー・アーモンド(マーク=アーモンド)率いるミュージック・マシーン、ベル&アークなどにも関わり、デニー・レイン(ムーディー・ブルース〜ウィングス)もいたボールズなるバンドでシングルを出した。

しかしこの時期の一番の注目は、やはりプラスチック・オノ・バンドに参加し、ジョン・レノンをバックアップしたことだろう。あの<Instant Karma>でドカスカとド派手なシャッフルを叩いているのも、<Imagine>でストイックにリズムを付けているのも、他ならぬアランである。そこから派生してか、ジョージ・ハリスン『ALL THINGS MUST PASS』やゲイリー・ライトの諸作に参加。71年にジョー・コッカーのセッションに参加して、そのままツアーに出た際に、イエス加入を打診されたそうだ。この頃アランは、イエスのプロデューサー:エディ・オフォードと同じアパートに住んでいて、元よりメンバーとは交流があったらしい。しかし初代ドラマー:ビル・ブルフォードの脱退が予想より早まったため(キング・クリムゾン参加のため)、ドタバタの交代劇となり、アランはライヴ・レコーディングも予定されているイエス・ツアーの複雑なレパートリーを、僅か数日で頭に叩き込まなければならなかった。そのツアーで録られたのが、アナログ3枚組の大作『YESSONGS』(73年発表/一部ブルフォード期の録音も含む)。しかしそれから現在まで、アランは ほぼイエスひと筋。分裂〜解散期も故クリス・スクワイアと手を組み、結局それがイエス再生へと繋がっていく。クリス急逝が2015年、アランがトラのドラムを立てるようになったのが2017年以降。やっぱり本家イエスは、その辺でピリオドを打つべきだったのかも…。

真っ白ジャケの『RUMSHACKLED』は、結局生涯唯一となった76年のアランのソロ作。詳しいレビューは10年以上前に書いたこちらのポストを参照いただきたいが、プログレから離れた耳で聴くと、イエス・メンバーの数多のソロ作で、アランのコレが一番面白く聴ける。実際レア・グルーヴ方面からの再評価も受けており、一時はDJ諸氏からのニーズが高かった。そこはやはりドラマーのソロ・アルバムだな、と。今も自分は、イエス界隈のソロでは、クリスの『FISH OUT OF WATER』とコレを一番よく聴く。お馴染みロジャー・ディーンのイラストが描かれた『WHITE』は、アランが07年に組んだグループの唯一作。メンバーには現イエスのジェフリー・ダウンズもいて、まぁ、ジャケ通りに近年のイエス・ファン向け。個人的には『RUMSHACKLED』のように、ファンの顔色を忖度せずに演りたいコトをやったソロ・アルバムを、もう1枚聴いてみたかった。

それでも、50年近くもイエスを支え続けたコトは、充分賞賛に値する。もしかしたら、ツアー不参加を決めた時点で、心の支えがポッキリ折れてしまったのかもしれないな。

Rest in Peace...