mighty soulmates

当人が急死した後も、未発表音源や未発表ライヴ映像が続々リリースされているプリンス周辺。今度は彼の関係筋が結成したものの、陽の目を見ずに瓦解した幻のプロジェクトの作品が登場した。レコーディングされたのは1993年。プリンス・ファミリーの動向に詳しい方なら、その存在を知っていたかもしれない。でも、アルバムが出れば買う、という程度の自分は、このプロジェクトをまったく知らず、昨年暮れのリリースにビックリ。そしてそのメンバーを知って、2度ビックリ。音をチェックし、これはプリンス・ファン以外にも広く届けたいと、拙監修【Light Mellow Searches】での日本独自CDリリースを画策した。

さて、そのメンバー。まずはプリンスの幼馴染みで、出身バンドの94イーストでも一緒だったアンドレ・シモーン。初期プリンス・バンドでベースを弾き、82年に独立してソロ・デビュー。イヴリン・シャンペーン・キングやジャーメイン・スチュワート、アダム・アントらをプロデュースし、最大のヒットを収めたジョディ・ワトリーとは公私に及ぶパートナーとなった(現在は離婚)。2人目は、ザ・タイムやザ・ファミリーで活躍したセント・ポール・ピーターソン。当サイトの常連さんには、ミネアポリスきっての音楽一家ピーターソン・ファミリーの三男で、リッキー・ピーターソンの弟としてご存知の方も多いだろう。マドンナとの仕事で知られるガードナー・コールは、ブレンダ・ラッセルやアル・ジャロウ、マイケル・マクドナルド、エル・デバージらにも曲を書いているソングライター。88年にソロ・デビューし、中森明菜や松田聖子など日本人シンガーへの書き下ろしもある。そしてザ・システムのヴォーカリストとして活躍したミック(マイク)・マーフィーが4人目に。ザ・システムは83〜89年に5枚のアルバムを発表し、87年の<Don't Disturb This Groove>は全米4位を記録。ロバート・パーマーが取り上げた<You Are In My System>、日本では角松敏生との蜜月関係で知られる。

そのサウンドを、メンバーたちはこう表現する。
「ファンクからポップ、ロック、インディ・パンクに至るまで、私たち全員が影響を受けたものをそのまま表現した」(ポール)
「私たちはこのテーブルにたくさんのエッセンスを持ち込んだ。私は自分をブレンダーだと思っているが、実際は私たち全員がそうなんだと思う」(アンドレ)
「私たちのルーツ、それを自然体でやったんだ。ヴォーカル、ハーモニー、ジャム、ビート、そしてリズム。60年代のモータウンとかビートルズ、メンフィス・ソウルから影響を受け、ミネアポリスやP–ファンクを経由して、アンブロージア<Biggest Part Of Me>やプレーヤー<Baby Come Back>みたいなグループ・ハーモニーとコード・ケミストリーを取り入れた、極めてスムーズに生まれた作品さ」(ミック)

グラウンド・ビートっぽい粗さの<Gonna Love You Right>、シルヴェッティ<Spring Rain>(電気グルーヴ<Shangri-La>の元ネタでもある)を髣髴させる<Dreamin'>、ニュー・ジャック・スタイルの<Hollywood>、プリンスもよくやるJ.B.スタイルの<Get Down>、そしてスティーヴィー・ワンダー・テイストの<Get Up Get Off>、アイズレーを髣髴させる<Back In The Day>と、オールド・スクールと当時のアップ・トゥ・デイトなサウンドとのバランスも面白く。

『VOL.1』と命名したくらいだから、まだまだ未発表曲が残されていて、それはいずれ『VOL.2』として登場するのだろう。ユニットが立ち消えになってしまったのは、レコーディングの拠点になっていたガードナーのスタジオがロサンゼルス地震(94年初頭)に見舞われて作業が中断してしまったから。シルク・ソニックの成功を見るにつけ、マイティ・ソウルメイツのような実力派ユニットにもリ・スタートを望みたいところだ。