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ソウル・シーンとジャズ・シーンを股にかけて活躍したレジェンダリー・ベース・プレイヤーにしてシンガー、マイケル・ヘンダーソンが、7月上旬にアトランタの自宅で家族に看取られて逝去したことが発表された。享年71歳。ブーツィー・コリンズは、「私たちは真のベース・ブラザーの一人を失ってしまった…」とツィートしている。

マイケル・スコット・ヘンダーソンは1951年、ミシシッピー州ヤズー・シティの生まれ。60年代初頭にデトロイトへ移り住み、13〜14歳からファンタスティック・フォー、デトロイト・エメラルズ、ビリー・プレストンやモータウンのアーティストたちをサポートし始めるという、天才肌のミュージシャンだった。その後スティーヴィー・ワンダーのバンドでツアーを経験。アレサ・フランクリンとも共演し、70年代に入ってマイルス・デイヴィスから声が掛かるように。かのマイルスのファンク名盤『ON THE CORNER』のベースは、まだ20歳そこそこのこの人である。75年のマイルス来日公演にも、エムトゥーメイやレジー・ルーカスらと一緒に同行し、ライヴ名盤『AGHARTA』『PANGEA』を残した。

その頃には、ジャズ・ドラマーのノーマン・コナーズとも共演。こちらではフィーチャリング・シンガーに抜擢され、ジーン・カーンとのデュエット<Valentine Love>、フィリス・ハイマンとの<We Both Need Each Other>で見事な喉を披露している。ノーマンの代表曲として知られる<You Are My Starship>も、実は彼の提供曲。ジョージ・ベンソンに並ぶ “歌えるジャズ・ミュージシャン” として、一気に脚光を浴びたのだ。

Buddahとソロ・ディールを結んだのもこの頃で、76年に『SOLID』でソロ・デビュー。以後、86年にEMI Americaからリリースした『BEDTIME STORIES』まで、コンスタントに8枚のアルバムを発表している。78年の<Take Me I'm Yours>(リナ・スコットとのデュエット)、80年の<Wide Receiver>は、R&Bチャートでトップ5入りするヒットに。そのほか、フィリス・ハウマンのソロ曲<Can't We Fall In Love Again>でもデュエットし、ボビー・ウーマックやジョニー・テイラー、ドラマティックスなどのアルバムにも参加。 70年代終盤には近所に住んでいたシェレールの実力を見出し、自分のツアーに参加させて育て上げた。

個人的には、ベースではマイルス・バンド、シンガーとしてはノーマン・コナーズのところで歌ったのが印象に残っているけれど、ソロはちょっと聴き込み不足。ピーボ・ブライソン張りの歌い上げデュエットも、カーティス・メイフィールド風のナイーヴなファルセットもこなしたりして、ホント、天才的なんだな。打ち込みやヒップホップの到来に幻滅したのか、80年代後半以降、ロクに表舞台に立たなくなってしまったけれど、この人、もっと高く評価されて然るべきだった。

Rest in Peace...