warren bernhardt

スティーリー・ダンやサイモン&ガーファンクルに重用されたニューヨークの鍵盤奏者で、マイク・マイニエリの盟友でもあったウォーレン・バーンハート。ステップス・アヘッドに参加した時期や、モントルー・ジャズ・フェスにアリスター・オールスターズとして出演したライヴ盤、渡辺香津美との共演もあるが、特にアコースティック・ピアノの演奏にこだわった硬派のプレイヤーだ。そのバーンハートが、8月19日に亡くなったという。現時点で詳細は不明。享年83歳。

ウォーレンはウィスコンシン州生まれ。父親が教会のオルガン奏者で、幼少期はクラシックを学んでいる。大学生の頃、オスカー・ピーターソンを聴いてジャズに開眼。60年代に入ってポール・ウインターに誘われ、彼のセクステットで本格的にプロの道へ進み、64年にフルート奏者ジェレミー・スタイグと『JAZZ MEETS FOLK SONG』なるアルバムを作っている。その後マイク・マイニエリと合流し、ティム・ハーディンをサポート。マイニエリ主導で、ニューヨーク・フュージョンの総本山とされるホワイト・エレファントでも一緒にプレイしている。この頃、ジミ・ヘンドリクスと共演したこともあるそうだ。

ホワイト・エレファントが発展的に活動を停止した後、マイニエリはウッドストックでリマージュというバンドを結成する。メンバーはマイニエリ、ウォーレン、スティーヴ・ガッド、デヴィッド・スピノザ、トニー・レヴィンの5人。しかし活動が本格化してくると同時にガッドがスタッフ他で忙殺されるようになり、レコーディングに入れないまま自然消滅してしまった(09年にリユニオン作あり)。

その後ウォーレンは78年にアリスタのジャズ系サブ・レーベル:ノヴァスからソロ・デビュー。タイトル通りの『SOLO PIANO』、同年モントルー・ジャズ・フェスティヴァルで収録したマイニエリとのデュオ・ライヴ『FREE SMILES』そして再びソロ・ピアノ作『FLOATING』を発表。その後80年に作ったソロ・アルバムが、上掲『MANHATTAN UPDATE』になる。通算4作目にして、初めてバンド編成で制作に臨んだのだ。そしてその顔ぶれが、リマージュの実質的リユニオン。そこにアンソニー・ジャクソンが加わったのが、この時のセッションだった。収録曲には、マイニエリが2ndソロ『WANDERLUST』に入れる<Sara’s Touch>を提供。ウォーレン作<Praise>は、マイニエリとのデュオ盤や再編リマージュでも披露された。

クラシック素養ゆえか、雪深いエリアに生まれ育ったせいなのか、ウォーレンのピアノには他のピアノ・プレイヤーとは違った思慮深さや透明感、純粋さを感じる。大柄なのに、そのプレイはシャープかつ繊細。その辺りのセンスがフェイゲン&ベッカーに気に入られ、再スタートしたばかりのスティーリー・ダンの音楽監督を任されたのだろう。ピアノ・ソロやアコースティック・トリオ作品が多いウォーレンが、バンド・フォーマットでニューヨーク・フュージョンの粋を聴かせた作品。このアルバムを含め、何枚か解説を書かせもらったことも思い出される。

Rest in Peace...