インド

近々ビートルズについてコラムに軽くまとめる予定があるので、公開中の映画『MEETING THE BEATLES IN INDIA』を観ておこうと都内シネマへ。ディズニーが威信をかけて公開した『GET BACK:THE ROOFTOP CONCERT』とは違い、ちょっとプライヴェート感も漂うドキュメンタリーだが、その映画としての内容云々よりも、ビートルズのメンバーがそこでどんなひと時を過ごしたかを知ることで、彼らの歴史におけるインド滞在の意義、それが彼らの未来にどんな影響を与えたかを知ることができた。ちなみに『ビートルズとインド』という、NHKで放映された英国のドキュメンタリーがあるが、それは未見。もっともビートルズ・フリークであれば、とっくに気づいているコトかもしれないけれど。

彼らが北インド・リシケシュにあるマハリシ・マヘーシュ・ヨーギーの僧院アシュラを訪れたのは、1968年2月のこと。瞑想を学ぶため、とされている。彼らがそういう行動をとるようになったキッカケは、映画『HELP!』の撮影中にジョージ・ハリスンがシタールを手にし、インド音楽に興味を持ったのが最初だった。ジョージは間も無くシタールの名手ラヴィ・シャンカールと親しくなり、インドの精神世界にも惹かれて、マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーに会う。マハリシは、ヒンドゥー教の流れを汲む超越瞑想の導師。ジョージに続いて、思想家的素養のあるジョン・レノンも、マヘリシの教えに耳を傾けるようになり、67年8月にはポール・マッカートニーも加わって、3人が夫人を伴ってマハリシがロンドンで開催した講義に参加していた。

その直後に起こったのが、ビートルズを成功に導いた敏腕マネージャー:ブライアン・エプスタインの急死。過酷なコンサート・ツアーを止め、個々の音楽性の違いが明確になってきて、同時にそれぞれ家庭を持ったり婚約したり…。ドラック禍からも抜け出しつつあった。そうした世俗の煩わしさから逃避させてくれたのが、サマー・キャンプのようなマハリシの僧院。同じ時期、ビーチ・ボーイズのマイク・ラヴ、ドノヴァン、ミア・ファーローの妹プルーデンス、ジャズ・サックスのポール・ホーンらも、リシケシュを訪れていたという。

それでも、元々瞑想への興味が薄く、菜食中心の食事や虫に悩まされたリンゴ夫妻は、10日ほどで離脱。ポール夫妻も後を追い、やはりジョージとジョンの夫妻がマハリシの元に居残った。

思うに彼らは、半ば世間と隔離されたこのゆったりした空間で、エプスタイン亡き後のビートルズをどうするか、そして自分はそれにどう関わっていくか、それを深く考え、お互いに模索しあったに違いない。ここで『ホワイト・アルバム』に収録される多くの新曲が書かれたように、バンドとしてできることはまだあるし、一緒に演奏する楽しみも失っちゃいない。ジョン、ポールがテラスでギターを抱えて歌い、その脇でリンゴが見守っている、その写真は、リヴァプール時代の若き日を髣髴させるようだ。みんなが一緒にリケリシュに集まったのも、彼らがバンドとしての共同体意識を失っていないコトを示している。ただその一方で、それぞれに奥様や婚約者がおり、音楽を作るのも遊ぶのも何をするのも4人一緒、というワケにはいかなくなった。そのまとめ役だったエプスタインも逝ってしまった。

つまりビートルズはこのインド来訪で、三位一体ならぬ四位一体の運命共同体から、目的を持って集まる協調体制へとバンドをシフトさせたのだろう。瞑想に心酔したジョージとジョンを取っても、<Sexy Sedie>でマハリシを俗物扱いした(後に和解)して現実社会に立ち向かい始めるジョンと、更に精神世界へ深入りしていくジョージで、スタンスをたがえていく。それに比べるとポールは純音楽的な立場で、リンゴは鷹揚。このインド紀行は、バンドの寿命を少しだけ長らえさせたた半面で、4人それぞれの道筋を決める自分探しの旅になった気がするな。

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