bee geesbeegees_horizontalbeegees_trafalgarbeegees_saturdaynight feverandy gibb
beegees_odessabeegees_main coursebeegees_spiritbarbra_guilty

25日から順次公開されるビー・ビー・ジーズのドキュメンタリー映画『栄光の軌跡(How Can You Mend a Broken Heart』を、ひと足お先に。ビー・ジーズで一番ポピュラーなのは、映画『SATURDAY NIGHT FEVER』で一世を風靡した<Stayin' Alive><How Deep Is Your Love> <Night Fever>あたりのディスコ・ポップ・サウンド。映画『小さな恋のメロディー』の絡みで日本でヒットした<メロディ・フェア>を中心に、<Massachusetts>などのフォーキーなハーモニー・ポップにも人気がある。

でもそのように広く知られていても、そのキャリアをシッカリ追跡しているのは、かなりのマニアだけだろう。英国出身のギブ兄弟(長兄バリーと、双子のロビン、モーリスという3人)が、移住先のオーストラリアでショービズ界に入り、そこそこ人気を得たあと英国に戻って、ビートルズのマネジャー:ブライアン・エプスタインが経営するNEMS入り。そこで敏腕ロバート・スティグウッドと出会ったのが大成功への第一歩で、3兄弟にギタリストとドラマーを加えた5人組バンドとして、67年に全英デビューしている。モーリスは一時、シンガーのルルと婚姻関係にあって、彼女もコメンテイターとして登場している。

渡英してすぐに大ヒットを飛ばしたビー・ジーズだが、メイン・シンガーのバリーとロビンがしばしば衝突し、ロビンが離脱した時期も。そうした低迷期からの脱出のヒントをくれたのが、同じスティグウッドの元にいたエリック・クラプトン。彼は、自分を麻薬禍から救い出してくれたマイアミでのレコード制作を兄弟に勧めた。でもこれは単純にマイアミの陽気の良さだけでなく、R&Bに向かおうとしていた彼らには最高のマッチングとなった。そう、世はディスコの時代に向かっていて、その発信地のひとつとしてマイアミが注目され始めていたのだ。更にアレサ・フランクリンやダニー・ハサウェイ、アヴェレイジ・ホワイト・バンドらを手掛けたアリフ・マーディンをプロデュースに迎え、75年の名盤『MAIN COURSE』が誕生。<Jive Talkin'>で全米No.1を獲得する。これがそのまま『SATURDAY NIGHT FEVER』での大ブレイクに発展していくワケだ。そこで印象深いのは、彼ら自身は、ディスコ・ミュージックを演っているつもりはない、と宣言していること。彼らはただ、ファルセット・ヴォーカルの魅力を追求しているだけで、それが時代の流れと相まって、そういう形になったと主張している。

だがディスコ・ミュージックのブームが大きくなりすぎ、職を奪われたロック系ラジオDJの扇動によって、“Disco Sucks(ディスコはクソ)”イベントが企画され、これが暴動に。ディスコ・ミュージックの象徴と見なされたビー・ジーズにも余波が及び、活動休止を強いられた。でもこの時の関係者の証言によれば、このイベントで爆破処分されたレコードの大半は、スティーヴィー・ワンダーやマーヴィン・ゲイ、カーティス・メイフィールド…といったR&Bアクトも多く、ディスコ・ミュージックが人種蔑視や性差別と混同されていたとか(ディスコ・ミュージックはゲイ文化から誕生した面がある)。

また別の関係者は、初期のディスコ・ミュージックはもっとピュアで、創造性に満ちていた、と語る。実際この映画の中でも、<Night Fever>のドラム・パートに、末期スティーリー・ダンが試みたような、マスターテープをツキハギした手作りループを使っていることが明かされて、かなりビックリ。でもディスコにビジネスの匂いを嗅ぎ取った商売人たちも数多く存在し、ダンス・ミュージックを金儲けの道具にしていった。その結果、子供騙しや低俗な作品が増え、賛否が激しく割れるように変質していったと指摘している。

そうだとすれば、これって今のシティポップとかアイドルなど、現行音楽シーンにも当てはまってしまうところ。でも行き場を無くしかけていた兄弟たちを救ったのが、バーブラ・ストライサンド『GUILTY』やディオンヌ・ワーウィック『HEARTBREAKER』、ダイアナ・ロス、ドリー・パートン、ケニー・ロジャースとのコラボレーション、というのは、何ともあたたかい気持ちになる話で。末弟アンディが若くして逝ったのは残念だったが。

この映画を観て、ビー・ジーズの柔らかなハーモニーや軽やかなグルーヴに素直に酔うのは、とても良いこと。実際、心に響く名曲、名唱のオンパレードである。でも国を飛び出し、ジャンルを越え、人種や性別を超越して音楽の魅力を表現していった彼らの苦悩は、思っていた以上に深かった。ギブ・ファミリーの一人が語ったのは、「彼らが長続きしたのは、血を分けた兄弟だったため」。同じ家に生まれ、一緒に育ったとしても、わずかな考え方や主義の違いで諍いを生むことはある。でもそれを克服できるのは、理屈ではない、というコトだ。一度は独立しようとしたロビンも孤独に苛まれ、バリーも「戻りたい。バンドとして、じゃなく、兄弟として」と呟いている。あぁ、血は何よりも濃いのだな。