

3日連続の朝イチ訃報はないだろう…、と思っていたら、今度は国内から。セッション・ベーシストでシンガーソングライター/アレンジャー/プロデューサーの有賀啓雄が、2月27日に亡くなっていたことが明らかにされた。前立腺ガンを患っていたそうで、既に家族葬を執り行なったという。享年58歳。
83年、崎谷健次郎率いるVISIONのメンバーとしてデビューするも、バンドはすぐ解散。翌年、原田真二&クライシスに参加。87年にソロ・デビューし、その前後からアレンジャ/プロデューサーとしても活動を始めた。96年にはCHAR、米米CLUBの石井竜也とユニット:ACRIを結成。ゼロ年代中盤から小田和正のサポート・バンド:Far East Club Bandに加入した。
ソロ・アルバムは『SHERBET』(87年)、『UMBRELLA』(92年)、『INNOCENT DAYS』(93年)の3枚。商業的な成功はなかったが、ゼロ年代あたりからジワジワとシティポップ再評価が進んでいく中で、そのクオリティの高さで一部から注目され、06年には『GOLDEN☆BEST』が編成された。自分も『Light Mellow Dancin'』(15年)に<Rain Dolphine>という曲をセレクトしたことがある。雨を歌った隠れ名曲で、やさしい歌声とアコースティック・ギターのリズムが印象的だった。
サポートしていたのは、盟友:崎谷の他、米米CLUB、岡村靖幸、池田聡、CoCo、鈴木雅之、中西圭三、中山美穂、TM NETWORKなど。藤井フミヤ、渡辺美里あたりとは、特に繋がりが深かった。個人的には、佐橋佳幸・小倉博和・平松八千代によるSOYのサポートが記憶に残っている。
昨年夏、腰の痛みを訴え、前立腺ガン末期が発覚。小田ツアーを途中降板して治療に専念していたが、とうとう…。ご冥福をお祈りします。

ソロ・アルバムは『SHERBET』(87年)、『UMBRELLA』(92年)、『INNOCENT DAYS』(93年)の3枚。商業的な成功はなかったが、ゼロ年代あたりからジワジワとシティポップ再評価が進んでいく中で、そのクオリティの高さで一部から注目され、06年には『GOLDEN☆BEST』が編成された。自分も『Light Mellow Dancin'』(15年)に<Rain Dolphine>という曲をセレクトしたことがある。雨を歌った隠れ名曲で、やさしい歌声とアコースティック・ギターのリズムが印象的だった。
サポートしていたのは、盟友:崎谷の他、米米CLUB、岡村靖幸、池田聡、CoCo、鈴木雅之、中西圭三、中山美穂、TM NETWORKなど。藤井フミヤ、渡辺美里あたりとは、特に繋がりが深かった。個人的には、佐橋佳幸・小倉博和・平松八千代によるSOYのサポートが記憶に残っている。
昨年夏、腰の痛みを訴え、前立腺ガン末期が発覚。小田ツアーを途中降板して治療に専念していたが、とうとう…。ご冥福をお祈りします。

まだお若いのに...