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訃報です。再編アース・ウインド&ファイヤーのギタリストを務めたシェルドン・レイノルズが、23日にL.A.で亡くなった。家族とフィリップ・ベイリーらが公表している。死因は明らかにされていないが、しばらく前から、恩師モーリス・ホワイトと同じパーキンソン病を発症。闘病しながら音楽活動を続けていたが、最近は情報が途絶えていた。享年63歳。

シェルドンは1959年オハイオ出身。出身地がらオハイオ・プレイヤーズやザップの影響は大きく、一部メンバーとは友達として、あるいは良きライバルとして、深い付き合いがあった。本格的なプロ・キャリアのスタートは、同州デイトンを拠点にしていた大型ファンク・バンド:サンへの加入で、これが80年。76年にデビューしたサンは当時低迷期にあり、そのテコ入れの一環でシェルドンが迎えられた。3枚のアルバムに参加した後、コモドアーズに合流。約4年間在籍し、86年作『UNITE』では作編曲にも貢献している。

この後モーリス・ホワイトに呼ばれ、アース・ウインド&ファイアーの活動再開に参加。87年作『TOUCH THE WORLD』を皮切りに、『HERITAGE』『MILLENNIUM』『AVATAR (IN THE NAME OF LOVE)』といったオリジナル盤や『LIVE IN VELFARRE』(95年)などに参加。14年間アースに在籍し、93年作『MILLENNIUM』に収録されているモーリスとの共作曲<Sunday Morning>は、グラミーにもノミネートされている。最後のスタジオ作となった『AVATAR(IN THE NAME OF LOVE)』では、曲作りに加え、モーリスやフィリップ・ベイリーとリード・ヴォーカルを分け合うなど、かなり貢献率が高かった。脱退当時は、ジミ・ヘンドリックスの異母妹ジェニーと婚姻関係にあったため、ジミの音源の管理団体“エクスペリエンス・ヘンドリックス”の活動に力を入れ、ジェニーが企画したジミ・トリビュート作『POWER OF SOUL』(04年)では実質的プロデューサーを務めた。このトリビュートには、エリック・クラプトンやサンタナ、プリンス、レニー・クラヴィッツ、スティング、チャカ・カーン、スティーヴィー・レイ・ヴォーン、ジョージ・クリントン、ブーツィー・コリンズ、そしてE.W.&F.と、錚々たる顔ぶれが参加している。

またE.W.&F.関連では、E.W.&F.トリビュート・プロジェクト:デヴォーテッド・スピリッツを牽引。全盛期のkyd奏者ラリー・ダン、シェルドンと同時期にツアー・サポートを務めたモーリス・プレジャー(kyd,b)らとE.W.&F.カヴァーで固めた『TRIBUTE TO EARTH WIND & FIRE』(04年)を発表。07年にもシェルドンのオリジナルを中心した2nd『THE ANSWER』を出している。その後スムーズ・ジャズ系人気kyd奏者ブライアン・カルバートソンとの共演なども。そして17年には、初のリーダー作として、シェルドン・レイノルズ&ザ・ファミリー名義による『IT IS LOVE(慈愛の早暁)』を、拙監修【Light Mellow Searches】からリリース。アース時代の名曲<Sunday Morning>や<In The Name Of Love>といったシェルドンのペンによる楽曲のセルフ・カヴァーに、それ以前の大ヒット<Sing A Song>のリメイクを含む多彩な楽曲を披露した。

メール取材時も、「病気のことは包み隠さずに公表してくれ」「だるくてバランスが崩れてしまう日もあるけど、神様が一緒に戦ってくれると信じている。だからこれが自分の人生の一部だというなら、恵みとして歓迎するよ」と殊勝なコトを言っていたシェルドン。ステージで自ら演奏するのは難しくても、E.W.&F.のトリビュート・ツアー・ショウ『KALIMBA』のディレクションを担ったり、若手のプロデュースなども続けていた。ソロ2作目も作りたいと言っていたが、今となってはそれは叶わず…。そうした関わりがあっただけに、シェルドン逝くの報には心が疼く。今頃きっと空の上で、モーリスとの再会を喜んでいるんだろうな?

Rest in Peace...