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朝起きたら、SNSはこの人の訃報が満載。ティナ・ターナー、24日までにスイスのチューリッヒ近郊キュスナハトの自宅で亡くなったことが公表された。死因は詳らかにされていないが、しばらく前からほとんど表舞台には出ず、長期に渡る闘病生活が囁かれていた。享年83歳。

ティナ(本名アンナ・メイ・ブロック)は米国南部テネシー州出身。セントルイスに転居してハイスクールを卒業すると、看護師助手をしながらナイトクラブ通いを始めた。そして1958年のある夜、アイク・ターナーと彼のバンド:キングズ・オヴ・リズムのステージに飛び入り。その歌声に驚いたアイクが彼女をバンドに迎え、60年に<A Fool In Love>が初ヒット(全米27位/R&Bチャート2位)、そこから快進撃が始まり、厳しいツアーで人気を高めていった。代表作としては、タイトル曲が全米3位を記録した、フィル・スペクターのプロデュースによる『RIVER DEEP MOUNTAIN HIGH』(65年)、71年初めに全米4位になったデュオ最大のヒット曲、クリーデンス・クリアウォーター・リバイバルのカヴァー<Proud Mary>あたり。ローリング・ストーンズの全米ツアーでオープニング・アクトを務めたり、ラスベガスでショウを打って支持の幅を広めたのも、60年代末のコトである。

しか夫アイクはアルコール依存症とコカイン中毒、ティナ自身も彼のDVに耐えられなくなって…。76年のある日、夜逃げ同然でアイクの元から逃げ出し、離婚が成立。ティナは77年からソロ活動を本格化するも、当初は受け入れられずに低迷している。しかし80年代に入ると風向きが変わり、オリヴィア・ニュートン・ジョンやロッド・スチュワート、ローリング・ストーンズ、デヴィッド・ボウイらの後押しで見事復活。メジャー復帰してリリースしたアル・グリーンのカヴァー曲<Let's Stay Tgether>が全米トップ30入りし、英国ではベスト10入りするほど。続いて<What's Love Got To Do With It(愛の魔力)>が全米No.1になり、アルバム『PRIVATE DANCER』と合わせて、85年初頭のグラミーで4冠を得るほどの衝撃的カムバックを果たした。同年ライヴ・エイドにも出演、ミック・ジャガーと派手なパフォーマンスを繰り広げたことも、強く記憶に残っている。

00年に引退宣言した後も、大きなイベントに駆り出されたり、各種サントラに参加するなどしていたが、08年末に50周年ツアーをスタート。その後もベスト盤が組まれたり、リヴァイヴァル・ヒットが出るなど、大物ぶりを発揮した。が、2018年頃から人工透析を受けるようになり、夫がドナーとなって腎移植。その後はニュースが途絶えていた。

“ロックンロールの女王” という称号通り、ファンク/R&Bというよりロック・フィールドでの支持が高いティナ。かくいう自分も、アイク&ティナというより、初期ディープ・パープルの<River Deep Mountain High>カヴァーでデュオを知ったり、ザ・フーの映画『TOMMY』に出演して体当たりの演技を披露したティナに興味を持ったりと、ロック側から入ったクチ。その頃は彼女の低迷期に当たるから、チャンと彼女のアルバムを聴いたのは『PRIVATE DANCER』が初めてだった。それ故このアルバムのジャケは、CD時代の足を組んでいるショットじゃなく(元はUK盤LP)、惜しげもなく美脚を広げている日本初盤のデザイン(USオリジナル)に愛着があるのよ、個人的に。そういやツアー・バンドのメンバーに、元ウィッシュボーン・アッシュのローリー・ワイズフィールドや、AORっぽいソロ・アルバムもあるジョン・マイルズが参加していたのも、ティナらしかったな。

Rest in Peace...