



引き続きウルトラヴァイヴ【ボードウォーク・レコード・オリジナル・マスター・コレクション】Light Mellowセレクション5作品から、ティエラの3作『CITY NIGHT』(79年)、『TOGETHER AGAIN』(81年)、『BAD CITY BOYS』(82年)をまとめてご紹介。彼らはL.A.でもメキシコ系移民の多い東部バリオ地区を拠点に活動していた大型バンドで、サンタナやマロに次ぐチカーノ・ロックの人気グループとして名を馳せた。絶頂期には、ラテン・ロックにディスコやシティ・ソウル・テイストを取り込んで活躍。それが彼らのボードウォーク期の特徴だった。
ティエラは、エル・チカーノに在籍したルディ(vo,g)&スティーヴ(vo,trombone)のサラス兄弟を中心とした5人組として結成され、73年に20thセンチュリーから『TIERRA』でデビュー。75年にもサルソウルから『STRANDED』を出している。しかし当時はラテンやサルサ色を強く打ち出していたため、ディスコに照準を定めていったサルソウルで立場を喪失。そこに手を差し伸べたのがラテン・パーカッションの巨匠ウィリー・ボボで、彼のプロデュースにより大手MCAからシングル<Gonna Find Her>を出した。これはチカーノ・コミュニティで話題になるも、アルバム制作には至らず。そこでティエラはインディレーベル ASIに移り、通算3作目のアルバム『CITY NIGHTS』を制作する。
するとそこから、ケニー・ギャンブル&レオン・ハフ作で、かつてイントゥルダーズが歌った<Together>がローカル・ヒット。これがボードウォーク設立間もないニール・ボガートの目に止まった。期待できるアーティストを探していたボガートは、『CITY NIGHTS』の権利を買い上げ、新装アートワークで再リリース。出し直した<Together>はR&Bチャート9位・全米18位と見事ヒットし、ティエラのアルバムは世界各国で発売された。彼らも荒波に揉まれてヒットの極意を学んだか、その音は硬派ラテン・ロックからダンス・ビートを取り入れた軽快なラテン・ディスコにシフト。プエルトリコ発信のサルサ・フレイヴァーを交え、ドクター・バザーズ・オリジナル・サヴァンナ・バンドや<Native New Yorker>をヒットさせたオデッセイらを髣髴させる都市型ラテン・ポップスを構築している。再度シングル・カットされた<Gonna Find Her>もR&B51位をマーク。個人的には、哀愁感漂う涼風ミディアム<Givin' Up On Love>が一番のお気に。でも当時の日本ではポップ・ディスコ・チューン<Memories>が一番ウケたとか。
それを踏まえて矢継ぎ早に作られたのが、初めてボードウォーク下で制作された『TOGETHER AGAIN』である。でもタイトル通り前作路線踏襲は明らかで、デルフォニックスのカヴァー<La La Means I Love You>がR&B33位・全米72位をマーク。若干テンポアップしているのは、アレンジでレジー・アンドリュースが絡んだせいか。その一方で、サルサ〜ラテンへの揺り戻しも少々。有名なパーティ・ソング<Tequila>や、モントゥーノ(正確にはトゥンバオ)のパターンを使った<Celebrate With Tierra>など、ラテン色全開のナンバーが増え、軽くラテンをまぶしたポップ・ロック・チューンも目立つ。この時期は大御所サンタナでさえ『ZEBOP』『SHANGO』でポップ・ロックに歩み寄った時期。ティエラがその動きを無視できなかったのは至極当然だろう。日本初CD化。もしかして世界初かも?
続いてのリリース『BAD CITY BOYS』では、ラテン・ディスコ色を押さえ、80年代らしいコンテンポラリーな都会派ポップ・ファンクにシフトしたのが特徴。おそらく前作『TOGETHER AGAIN』のセールス惨敗を受け、ジョーン・ジェットやナイト・レンジャーなどロック方面に力を注ぎ始めたボードウォークの意向を受け入れざるを得なかったに違いない。それに連動してか、4曲のプロデューサーにフレディ・ペレンを起用。そのうち<Hidden Tears>は、R&Bチャート61位とまずまずの成果を残した。モダンなポップ・ファンクのこなし方もスマートで、リスナーの裾野は確実に広がったと思われる。AORファンが一番馴染みやすいのが、このアルバムかも。これも前作同様、世界初CD化かな?
その後のティエラは、サラス兄弟の確執などあり、若手中心にライヴ・サーキットで断続的に活動。が、20年代に入って兄弟が相次いで逝去。その後の動きは聞こえてこないようだ
するとそこから、ケニー・ギャンブル&レオン・ハフ作で、かつてイントゥルダーズが歌った<Together>がローカル・ヒット。これがボードウォーク設立間もないニール・ボガートの目に止まった。期待できるアーティストを探していたボガートは、『CITY NIGHTS』の権利を買い上げ、新装アートワークで再リリース。出し直した<Together>はR&Bチャート9位・全米18位と見事ヒットし、ティエラのアルバムは世界各国で発売された。彼らも荒波に揉まれてヒットの極意を学んだか、その音は硬派ラテン・ロックからダンス・ビートを取り入れた軽快なラテン・ディスコにシフト。プエルトリコ発信のサルサ・フレイヴァーを交え、ドクター・バザーズ・オリジナル・サヴァンナ・バンドや<Native New Yorker>をヒットさせたオデッセイらを髣髴させる都市型ラテン・ポップスを構築している。再度シングル・カットされた<Gonna Find Her>もR&B51位をマーク。個人的には、哀愁感漂う涼風ミディアム<Givin' Up On Love>が一番のお気に。でも当時の日本ではポップ・ディスコ・チューン<Memories>が一番ウケたとか。
それを踏まえて矢継ぎ早に作られたのが、初めてボードウォーク下で制作された『TOGETHER AGAIN』である。でもタイトル通り前作路線踏襲は明らかで、デルフォニックスのカヴァー<La La Means I Love You>がR&B33位・全米72位をマーク。若干テンポアップしているのは、アレンジでレジー・アンドリュースが絡んだせいか。その一方で、サルサ〜ラテンへの揺り戻しも少々。有名なパーティ・ソング<Tequila>や、モントゥーノ(正確にはトゥンバオ)のパターンを使った<Celebrate With Tierra>など、ラテン色全開のナンバーが増え、軽くラテンをまぶしたポップ・ロック・チューンも目立つ。この時期は大御所サンタナでさえ『ZEBOP』『SHANGO』でポップ・ロックに歩み寄った時期。ティエラがその動きを無視できなかったのは至極当然だろう。日本初CD化。もしかして世界初かも?
続いてのリリース『BAD CITY BOYS』では、ラテン・ディスコ色を押さえ、80年代らしいコンテンポラリーな都会派ポップ・ファンクにシフトしたのが特徴。おそらく前作『TOGETHER AGAIN』のセールス惨敗を受け、ジョーン・ジェットやナイト・レンジャーなどロック方面に力を注ぎ始めたボードウォークの意向を受け入れざるを得なかったに違いない。それに連動してか、4曲のプロデューサーにフレディ・ペレンを起用。そのうち<Hidden Tears>は、R&Bチャート61位とまずまずの成果を残した。モダンなポップ・ファンクのこなし方もスマートで、リスナーの裾野は確実に広がったと思われる。AORファンが一番馴染みやすいのが、このアルバムかも。これも前作同様、世界初CD化かな?
その後のティエラは、サラス兄弟の確執などあり、若手中心にライヴ・サーキットで断続的に活動。が、20年代に入って兄弟が相次いで逝去。その後の動きは聞こえてこないようだ
音は結構いいのに、何故か取り上げられず中途半端で忘れられてた存在。明確なPRできる音がなかったからですかね。アナログでも3枚は持ってなかったので楽しみです。