bobby elidick st nicklaus
367716050_644562974094845_981987009879051976_n-1692321315Alpert-and-Mossgettyimages-613182628-1560359759AS20230821002569

この10日ほど、日米で音楽業界人の訃報が相次いでいる。まずサセックス・レコードやタブー・レコードを立ち上げ、90年代はモータウン会長を務めたクラレンス・エイヴァントが、13日にL.A.の自宅で。享年92歳。16日には、A&MレコードのM、つまりハーブ・アルパートの相方であったジェリー・モスが、カリフォルニア州ベルエアの自宅にて88歳で。更にフィラデルフィア・ソウルの重鎮でM.F.S.B.を牽引したプロデューサー/ギタリスト、ボビー・イーライ(本名Eli Tatarsky)が、17日に77歳で世を去った。一方 日本でも、CBSソニーの名物ディレクターだった野中規雄氏が13日に逝去。肺炎と脳梗塞で、75歳での旅立ちだったという。

野中氏といえば、チープ・トリック『at 武道館』をつくった男、として知られるほか、モット・ザ・フープル、エアロスミス、クラッシュ、ジャニス・イアンなど、多くの著名アーティストを担当。ソニーミュージックダイレクトのトップを務め、定年後もFMココロで番組を持つなど、洋楽の普及に尽力した。個人的な面識はなく、ライヴ会場などで見かけた程度だったが、自分が単なるロック好きの高校生だった頃から存じ上げていたので、一方的に親近感を持っていた。

…とはいえ、AOR方面にはあまりご縁がなかったと思っていたら、無名の新人だったディック・セント・ニクラウスとビル・ヒューズの関西限定発売を実現させた黒幕が、実はこの方だったそう。そのコトの顛末は、紙ジャケ再発シリーズ『Light Mellow 2010』でディック・セント・ニクラウス『MAGIC』を出した時の、上柴とおるさんの解説に詳しい。その中で東京本社N氏として登場するのが野中氏だ。この異例づくしの関西限定発売は、「アンチ東京レコード」なる見出しで新聞(80年1月)にも取り上げられ、その評判の高さですぐに全国リリースになった。エピック・ソニーが立ち上げられて間もない頃、という冒険しやすい状況ではあったと思うが、野中さんの英断がなければ、この関西限定発売は生まれなかった。それだけのアイディアと判断力、推進力を持った、稀有な洋楽マンだったのだ。

改めてご冥福をお祈りします。