
4月末の復刻の時から紹介しようと思ってて、タイミングを失っていたマイロン・ルフェーヴェルの、マイロン名義の70年作。ロック・ファンなら、アルヴィン・リーと73年に作った共演アルバム『ON THE ROAD TO FREEDOM、AOR好きなら、拙ガイド本『AOR Light Mellow』に初版から掲載しているマイロン・ルフェーヴル&ブロークン・ハート『BRAND NEW START』(82年)でご存知かも。いろいろ名前を変えていたりして、ちょっとヤヤこしい人なのだが。
そもそもは1944年にミシシッピで生まれた彼。両親はゴスペル・グループ:ルフェーヴルズを率いて活動していて、マイロンもハイスクール時代から若きゴスペル・シンガーとして注目されていた。卒業後兵役に出るが、復員後デビュー。60年代に2枚のゴスペル・アルバムを出したほか、複数のヴォーカル・グループに併行して参加している。
運命を変えたのは、62年頃に書いた<Without Him>という曲。メンフィスで行われるゴスペル・イベントに両親のグループが参加した際、マイロンも飛び入り参加してこの曲を歌った。すると関係者席に来ていたエルヴィス・プレスリーがそれを耳にし、気に入って自身のゴスペル・アルバム『HOW GREAT THOU ART』(67年) でカヴァー。このアルバムはグラミーを受賞するなど大ヒットし、<Without Him>は多くのアーティストに歌われて、半ばゴスペルのニュー・スタンダードになっていった。当然彼のところには莫大なロイヤリティが入ってきて…。それでもしばらくゴスペルを歌い続けたマイロンだったが、ミニマムな音楽表現に限界を感じ、もっと自由に歌いたいと考え始める。そして69年に自分のバンドを結成。翌70年にアトランティック傘下のコティリオンから、初めての脱ゴスペル作となる本作を発表した。
プロデュースはアラン・トゥーサン。録音はトゥーサンの本拠地ニューオーリンズではなく、アトランタにあるルフェーブル家のホーム・スタジオ。トゥーサンの元を訪れたブルー・アイド・ソウル・シンガーは数多いが、この時点での制作仕事は、ジェス・ローデンやフランキー・ミラー、ロバート・パーマー、ジャッキー・ロマックス(=バジャー)よりもずっと早い。ちなみにこのマイロンは、ソロ名義というよりバンド名で、中心メンバーは<Spooky>や<Stormy>のヒットで知られるクラシックスIV出身者たち。更にそこからバリー・ベイリー(g)、ディーン・ドートリー(kyd)、スペシャル・サンクスを贈られているポール・ゴダード(b)らが、同年スタートした現地スタジオ・ワンのセッション・ミュージシャンとして活躍し始め、それがアトランタ・リズム・セクションへと発展していく。
そう書けば、自ずと本作の音楽的指向性やポジションも分かるだろう。知名度はさして高くないけれど、スワンプ・シーンには確固たる立ち位置を築いたし、何処かプレAOR的ブルー・アイド・ソウルのニュアンスを湛えた作品でもある。バック・コーラス陣にはメリー・クレイトン、ヴェネッタ・フィールズ、クライディ・キング、シャーリー・マシューズというよく見る名前も。
その後、コロムビア、ワーナー・ブラザーズ、マーキュリと大手レーベルを移りながらリリースを続けるも、麻薬禍が祟ってジリ貧に。そこで父の死を契機に心機一転ボーン・アゲイン・クリスチャンとなり、セキュラー・シーンとの関係をキッパリ絶った。そして作られたのが、82年作『BRAND NEW START』になるワケだ。
ロック・ファンに高く評価されている、アラン・トゥーサンのブルー・アイド・ソウル・シンガー・ワークス。ボズ・スキャッグスも、頻繁に彼の曲を歌ってアルバムに収めた。その辺りが気になる人は、このマイロン・ルフェーヴェルもお忘れなく。
運命を変えたのは、62年頃に書いた<Without Him>という曲。メンフィスで行われるゴスペル・イベントに両親のグループが参加した際、マイロンも飛び入り参加してこの曲を歌った。すると関係者席に来ていたエルヴィス・プレスリーがそれを耳にし、気に入って自身のゴスペル・アルバム『HOW GREAT THOU ART』(67年) でカヴァー。このアルバムはグラミーを受賞するなど大ヒットし、<Without Him>は多くのアーティストに歌われて、半ばゴスペルのニュー・スタンダードになっていった。当然彼のところには莫大なロイヤリティが入ってきて…。それでもしばらくゴスペルを歌い続けたマイロンだったが、ミニマムな音楽表現に限界を感じ、もっと自由に歌いたいと考え始める。そして69年に自分のバンドを結成。翌70年にアトランティック傘下のコティリオンから、初めての脱ゴスペル作となる本作を発表した。
プロデュースはアラン・トゥーサン。録音はトゥーサンの本拠地ニューオーリンズではなく、アトランタにあるルフェーブル家のホーム・スタジオ。トゥーサンの元を訪れたブルー・アイド・ソウル・シンガーは数多いが、この時点での制作仕事は、ジェス・ローデンやフランキー・ミラー、ロバート・パーマー、ジャッキー・ロマックス(=バジャー)よりもずっと早い。ちなみにこのマイロンは、ソロ名義というよりバンド名で、中心メンバーは<Spooky>や<Stormy>のヒットで知られるクラシックスIV出身者たち。更にそこからバリー・ベイリー(g)、ディーン・ドートリー(kyd)、スペシャル・サンクスを贈られているポール・ゴダード(b)らが、同年スタートした現地スタジオ・ワンのセッション・ミュージシャンとして活躍し始め、それがアトランタ・リズム・セクションへと発展していく。
そう書けば、自ずと本作の音楽的指向性やポジションも分かるだろう。知名度はさして高くないけれど、スワンプ・シーンには確固たる立ち位置を築いたし、何処かプレAOR的ブルー・アイド・ソウルのニュアンスを湛えた作品でもある。バック・コーラス陣にはメリー・クレイトン、ヴェネッタ・フィールズ、クライディ・キング、シャーリー・マシューズというよく見る名前も。
その後、コロムビア、ワーナー・ブラザーズ、マーキュリと大手レーベルを移りながらリリースを続けるも、麻薬禍が祟ってジリ貧に。そこで父の死を契機に心機一転ボーン・アゲイン・クリスチャンとなり、セキュラー・シーンとの関係をキッパリ絶った。そして作られたのが、82年作『BRAND NEW START』になるワケだ。
ロック・ファンに高く評価されている、アラン・トゥーサンのブルー・アイド・ソウル・シンガー・ワークス。ボズ・スキャッグスも、頻繁に彼の曲を歌ってアルバムに収めた。その辺りが気になる人は、このマイロン・ルフェーヴェルもお忘れなく。