bernie marsdenpaice ashton lord
whitesnake livewhirtesnale_reading 1980

英国のベテラン・ロック・ギタリスト:バーニー・マーズデンが、24日(木)、家族に看取られて息を引き取った。特にデヴィッド・カヴァーデイル率いるホワイトスネイクでの活躍が知られ、バンドの代表曲<Here I Go Again>でも、カヴァデールとペンを取っていた。享年72歳。

バーニー・マーズデンは1951年、英国バーミンガム生まれ。72年にマイケル・シェンカー発掘前のUFOに短期間在籍した後、元ジェスロ・タルのグレン・コーニックのバンド:ワイルド・ターキー、コージー・パウエルズ・ハマーに相次いで参加。ハマーでは元ジェフ・ベック・グループのクライヴ・チャーマン(b)、若き日のドン・エイリー(kyd)と籍を同じくしている。ハマーは商売人ミッキー・モストの手腕で思わぬヒットを記録するが、シングルのみで解散。バーニーは75年に中堅バンドのベイブ・ルースに加入し、4作目『STEAKIN' HOME』と5作目『KID'S STUFF』に参加した。特に後者では多くの楽曲を書き下ろすなどグループの主導権を握り、レコーディングには当時コロシアムII(ゲイリー・ムーア在籍)にいたドン・エイリーとニール・マレイ(b)を参加させている。<Living A Lie>という曲は、ハマー時代に書いたモノで、コージーとドンの共作クレジットも。

しかしバーニーの奮闘むなしく、ベイブ・ルースはそこで瓦解。バーニーにはポール・マッカートニー&ウィングス加入の話もあったらしいが、彼はそこでペイス・アシュトン・ロードの創設に参加した。この新グループは、ディープ・パープル解散後のジョン・ロードとイアン・ペイスが、旧友トニー・アシュトンと組んだもの。その音はアヴェレイジ・ホワイト・バンドやココモ、ゴンザレスに通じる燻し銀の英国ファンキー・スタイルに、若干のハード・ロック・エッセンスをまぶしていた。だから第4期パープルや第2期ジェフ・ベック・グループのファンキー・スタイルが大好きな自分には120%フィットしたけれど、単純にハード・ロックを期待する世間の評判は最悪。結局このグループはアルバム1枚で瓦解してしまう。

そこで声が掛けたのが、デヴィッド・カヴァーデイルだ。彼はパープル解散後、ロジャー・グローヴァー制作下で2枚のソロ・アルバムを発表。そこで相方を務めたミッキー・ムーディと共に、新バンド:ホワイトスネイク(元々はカヴァーデイルの1stソロ作のタイトル)を立ち上げようとしていた、そこに誘われたワケである。結成時には不在だったロードやペイスも、1年ほどで次々加入。パープル人脈が揃ってカヴァーデイルを支えるカタチになった。

バーニーは82年までホワイトスネイクに在籍。グループは急速にメタル仕様に変身していき、全米大ヒットを掴む。でもそれはもうほとんど同名異バンド。ポール・ロジャースやフランキー・ミラーのようなブルー・アイド・ソウル・スタイルがカヴァーデイルの持ち味だったはずなのに…。それが存分に発揮された初期のホワイトスネイクには、バーニーのブルージーなギターが必要だった。

結局、メタル系の花形ギタリストを次々に参加させたカヴァーデイルは、そのプレイに対抗するため、ハイトーンでシャウトし続けて喉を痛め、シンガーの寿命を縮めていく。バーニーの死にいち早く追悼コメントを寄せたカヴァーデイルだけど、彼の本当の想いは如何ばかりか。

カヴァーデイルと袂を分けたバーニーは、ソロ・アルバムを出したり、自分のバンド:アラスカを率いたり。その後はムーディと一緒にホワイトスネイク由来のバンドを組んだりして、自由気ままに活動を続けてきた。自分らしさを封印して成功したものの、その後も当時の人気にすがっているように見えるカヴァーデイル。ある程度の実績を築いた後は、自由に音楽を楽しんでいたバーニー。自分は今だにペイス・アシュトン・ロードや初期ホワイトスネイクを聴いているよ。

Rest in Peace...