



週明け、起き抜けにPCを開けると、ゲイリー・ライトの訃報が飛び込んできた。が、その段階では、アンブロージアのデヴィッド・パックやスティーヴン・ビショップといった友人たちのSNSポストだけで、「デマだ!」というポストもあり、ファクト・チェックできず。何時間か遅れて息子がコメントを出し、4日(月)の朝、カリフォルニア州パロスヴェルデスの自宅で亡くなったことが明らかに。数年前からパーキンソン病を発症し、パーキンソン病患者が併発しやすいレビー小体型認知症とも闘っていたそうだ。享年80歳。一般的に進行が遅いとされるパーキンソンだけど、こういうコトもあるのだな…。
ゲイリー・マルコム・ライトは1943年、米国ニュージャージー州クレスキル生まれ。医者を目指してヨーロッパに渡るが、そこで音楽活動を再開し、67年にドイツ巡業に来ていた英国のバンド:ARTに加入。それを機にARTはスプーキー・トゥースに改名し、68年にデビューする。この時のメンバーは、ゲイリー(vo,kyd)、マイク・ハリソン(vo,kyd)、グレッグ・リドリー(b / 後ハンブル・パイ)、ルーサー・グローヴナー(g / 後エリアル・ベンダー名でモット・ザ・フープル)他。しかし音楽性の相違からの確執で、ゲイリーは3枚のアルバムを残して脱退。バンドはグリース・バンドのサポートで4作目を出すも、結局解散を余儀なくされ…。対してゲイリーはA&Mから2枚のソロ・アルバムを発表しながら、ジョージ・ハリスンと親しくなって名盤『ALL THINGS MUST PASS』に参加したり、人脈を広げてセッション活動を開始。このころ率いたワンダーホイールには、のちにフォリナーで名をあげるミック・ジョーンズがいた。72〜73年の再編スプーキー・トゥース(アルバム2枚)には、ゲイリー、マイクに、ミックが名を連ねたが、このあとはゲイリーとマイクの確執再燃。バンド解散と共にゲイリーはソロ活動を再開している。
すると75〜76年<The Dream Weaver(夢織り人)>、<Love Is Alive」>が、揃って全米2位の連続ヒット。結果的にこれがゲイリーのキャリア最大のヒットになった。が、実は彼にはもうひとつ、チャート史に残らない顔があった。それはシンセサイザー奏者の先駆的存在という側面。ゲイリーはデヴィッド・フォスター&フレンズが2010年にラスヴェガスで開催した『HIT MAN RETURNS』のライヴに参加し、<Dream Weaver>を披露。その模様は映像作品にも記録されているが、コレはフォスターがゲイリーのことを“シンセの師匠”と敬っているから。そもそも『THE DREAM WEAVER』というアルバムも、“キーボードのための作品”という位置付けで制作され、ドラムとバック・ヴォーカルを除いては、すべての楽曲がゲイリーと、カナダから出てきて間もない駆け出し時代のフォスター、ボビー・ライルのキーボードだけで構成されている。
更に、そしてその後77年に始まったゲイリーのツアーで、セカンド・キーボードとして彼をサポートしたのがスティーヴ・ポーカロ。これが彼の本格的プロ・キャリアのスタートで、スティーヴもまたゲイリーを恩師と崇めている(映像でチラッと映る左の鍵盤奏者、かなり怪しいな…)。シンセの先駆者としては、キース・エマーソンやリック・ウェイクマンといったプログレ勢や、スティーヴィー・ワンダー、冨田勲、タンジェリン・ドリームあたりの名前がすぐに出てくるけれど、ポップ・ロックではゲイリー・ライトも重要な存在だったのだ。
80年代以降のソロ・キャリアは、徐々に寂しいモノになっていくゲイリー。だけど、2010年代にもシッカリとアルバムを出していたし、リンゴ・スターのオールスターズでは08〜11年にかけてメンバーに連なり、健在ぶりを発揮した。再評価が進む前に逝ってしまったのは残念でならない。
Rest in Peace...
すると75〜76年<The Dream Weaver(夢織り人)>、<Love Is Alive」>が、揃って全米2位の連続ヒット。結果的にこれがゲイリーのキャリア最大のヒットになった。が、実は彼にはもうひとつ、チャート史に残らない顔があった。それはシンセサイザー奏者の先駆的存在という側面。ゲイリーはデヴィッド・フォスター&フレンズが2010年にラスヴェガスで開催した『HIT MAN RETURNS』のライヴに参加し、<Dream Weaver>を披露。その模様は映像作品にも記録されているが、コレはフォスターがゲイリーのことを“シンセの師匠”と敬っているから。そもそも『THE DREAM WEAVER』というアルバムも、“キーボードのための作品”という位置付けで制作され、ドラムとバック・ヴォーカルを除いては、すべての楽曲がゲイリーと、カナダから出てきて間もない駆け出し時代のフォスター、ボビー・ライルのキーボードだけで構成されている。
更に、そしてその後77年に始まったゲイリーのツアーで、セカンド・キーボードとして彼をサポートしたのがスティーヴ・ポーカロ。これが彼の本格的プロ・キャリアのスタートで、スティーヴもまたゲイリーを恩師と崇めている(映像でチラッと映る左の鍵盤奏者、かなり怪しいな…)。シンセの先駆者としては、キース・エマーソンやリック・ウェイクマンといったプログレ勢や、スティーヴィー・ワンダー、冨田勲、タンジェリン・ドリームあたりの名前がすぐに出てくるけれど、ポップ・ロックではゲイリー・ライトも重要な存在だったのだ。
80年代以降のソロ・キャリアは、徐々に寂しいモノになっていくゲイリー。だけど、2010年代にもシッカリとアルバムを出していたし、リンゴ・スターのオールスターズでは08〜11年にかけてメンバーに連なり、健在ぶりを発揮した。再評価が進む前に逝ってしまったのは残念でならない。
Rest in Peace...