be716f31.jpg良い齢の重ね方をしてますよね、この人。レストランを経営して悠々自適なのに、しっかり音楽活動する。しかも趣味とファン・サービスとのバランスが取れているし。出たばかりのこの2枚組ライヴ盤も、今のボズのありのままの姿が堪能できます。前作のスタンダード集は少々趣味的で渋すぎた感がしてますが、タイトル通りにヒット曲を矢継ぎ早に繰り出してくるコレは、ハッキリ言ってかなりの充実度っすよ!

ところが一部に、これを批判する人たちも。彼ら曰く「ボズにしては物足りない」とか。確かに、今のボズに80年代前後とまったく同じサウンドを求めるならば、こうした意見も理解できます。でも、あれから20年以上。同じである方がおかしくありませんか? 実はこのライヴ盤のプロデューサーは、『SILK DEGREES』のアレンジを担ったデヴィッド・ペイチ。つまりは、これがボズやペイチの「今」なのです。

プログレッシヴ・ロックはいつしかプログレスしなくなり、様式美を追うようになりました。ヘヴィ・メタルもパンクもヒップホップも、音楽的な完成度が頂点に達した時点で、少しづつ様式美に向かっています。これはAORも同様で、TOTO〜AIRPLAY派といわれるようなアレンジ指向派は、相変らず当時と同じサウンド・スタイルを求めています。それは決して悪いコトではないし、自分にもそういう部分があることは否定しません。でもこれって保守的すぎるというか、懐メロ指向者のエゴに過ぎないんじゃ…? 

今はもっと広い意味での“大人の音楽”に目を向けるべきではないのか? バブル崩壊で元気をなくした大人たちの音楽を取り戻すのが最優先ではないのか。もちろん本物とエセの見分けは重要で、ノラ・ジョーンズのブレイクに端を発するジャズ・シンガーの氾濫はキナ臭さがいっぱいです。でも、あまり細かいところにこだわるのはどうなのよ、ってのがボクの意見。

そういえば、今月末にはこのライヴ盤のDVDが出ます。そこにはボーナス映像としてライヴのドキュメンタリーが収録されており、ボズの地元サンフランシスコのファンたちが映し出されています。彼らがボズのフェイヴァリットに挙げるのは、初期のブルース・ナンバー<Loan Me A Dime>。決して<We're All Alone>ではありません。彼らはボズの本質を知っているのです。

マイケル・ランドゥやカルロス・ヴェガ、マイク・ポーカロがバックをつけていた頃のボスは、確かにカッコ良かった。今も「あの頃ライヴ盤が出ていれば」とは思います。しかし、リラックスした佇まいで<Lowdown>や<Harbor Lights>をプレイする今のボズだってなかなかだし、モネと掛け合う<Miss Sun>は艶やかさを増した感さえします。今を生きるボズが、等身大のまま、ここで歌っているのです。

当時よりユルくなったのは事実ですが、それはごく自然な変化であって、彼の小粋さは変わっていません。枯れたと言われるほど老け込んでもいません。なのに、あまり細かいところにこだわると、偏屈オヤジの戯れ言にしか聞こえませんよ。