
AOR系は新作も小粒。最後に来て幾つかイイのがあったけれど。むしろ和モノがすごく充実していて、今年一番聴いたのも、多分大橋純子『trinta』だろう。だけど冷静に考えると、やっぱり角松は外せない。
某A誌の国内部門は、毎年角松の指定席。まるで出来レースみたいだけど、実際に彼ほどのテンションでアルバム制作してるアーティストはほとんどいない。今年はせいぜい吉田美奈子くらいじゃないか。最近はゆる〜い作りの作品に快作が多いから、かえって直球でグイグイと攻めて来るコレが際立った。アルバム・リリースから4ヶ月が過ぎ、ちょうどSolid SideとElastic Sideという2本立てライヴ・ツアーも前半戦をこなした今、もう一度この作品を捕らえ直すにはイイ時期だろう。
ボクはココのメインサイトの【recommend】欄でこのアルバムを紹介した時、“過渡期のアルバム”という旨を書いた。それはドラムレスの編成など、彼にとっては実験以外の何モノでもないと思うから。その考えは今も変わっていない。
でもその一方で、このアルバムが“今の角松”が持っている音楽的方法論のすべてを吐き出した作品という想いも強くしている。そういう意味では、これまでの角松の集大成作品といって差し支えないだろう。2枚組大作といっても発想の源は2本立てライヴにあったわけで、その2つのスタイルに今までの角松が集約されてる。だからこのアルバムには、ロイク好きな嗜好も、シティ・ポップスへのオマージュも、アガルタ的ワールド・ミュージック指向も、フォーキーなエッセンスも、すべて揃っているのだ。
このアルバム、『SUMMER 4 RHYTHM』『INCANATIO』の3枚のコンセプトは、以前書いたように、『存在の証明』ツアーのあとに行なわれたエキストラ・ツアーの時にできたと思う(詳しくは ココ)。それをすべてやり終えたから、イコール、すべて吐き出した。実は兄弟のようなアルバムたちだから、表面的なサウンドはいろいろ変化していても、角松サウンドの根幹はずっと不変だ。
イヤ、ハッキリ言えば、ボクは『あるがままに』で彼のスタイルは8割がた完成したと思っている。残りがアルバムごとに変化したり、積み上げていく部分。“完成した”という言い方は、多分本人が否定するだろう。しかし『あるがままに』以前の角松サウンドが、それこそ作品毎に目まぐるしく変化していたのに対し、『あるがままに』以降、楽曲から受けるイメージはあまり変化していない。あの『INCANATIO』にしても、トンコリなどの民族楽器が異様なだけで、もしアレを無くしたり普通の楽器に置き換えたら、いつもの角松節になると思えるのだ。
そうした意味を含めて、現時点での集大成が『Fankacosutics』。『TIME TUNNEL』と聴き比べれば、進化しているのは明らか。でも受ける印象には、さほど振幅が大きくない。でも一番の問題は、ヤツがココから何処へ向かおうとしているのかだ。『TIME TUNNEL』以降、次に角松が何を演るかは予測ができた。本人からのアナウンスもなくはなかった。でも今回はそれが見えて来ない。もしかして、ってのはなくはないけど…。ということは、本人もまだ模索中なのかも?
いずれにせよ、そろそろ角松サウンドに大きな変化が出ることは予測できる。もしかしたら、角松バンド自体の顔ぶれに変化があるかも知れない。今回のツアーが2つのフォーマットで行なわれたのは、その伏線のような気もするし。ただ角松自身にも、まだ捨てきれてないコダワリがあるのではないか? 今回のツアー、既に両方のサイドを見るコトができたが、個人的に面白かったのはElasticの方。これは後半、どこかでもう一度観ておきたいと思っている。
青白い空に伸びる道路にポツンと置き去りにされたギター・ケース。あれは、未来を見据えて旅立とうとする角松の置き土産かも知れない…。
ボクはココのメインサイトの【recommend】欄でこのアルバムを紹介した時、“過渡期のアルバム”という旨を書いた。それはドラムレスの編成など、彼にとっては実験以外の何モノでもないと思うから。その考えは今も変わっていない。
でもその一方で、このアルバムが“今の角松”が持っている音楽的方法論のすべてを吐き出した作品という想いも強くしている。そういう意味では、これまでの角松の集大成作品といって差し支えないだろう。2枚組大作といっても発想の源は2本立てライヴにあったわけで、その2つのスタイルに今までの角松が集約されてる。だからこのアルバムには、ロイク好きな嗜好も、シティ・ポップスへのオマージュも、アガルタ的ワールド・ミュージック指向も、フォーキーなエッセンスも、すべて揃っているのだ。
このアルバム、『SUMMER 4 RHYTHM』『INCANATIO』の3枚のコンセプトは、以前書いたように、『存在の証明』ツアーのあとに行なわれたエキストラ・ツアーの時にできたと思う(詳しくは ココ)。それをすべてやり終えたから、イコール、すべて吐き出した。実は兄弟のようなアルバムたちだから、表面的なサウンドはいろいろ変化していても、角松サウンドの根幹はずっと不変だ。
イヤ、ハッキリ言えば、ボクは『あるがままに』で彼のスタイルは8割がた完成したと思っている。残りがアルバムごとに変化したり、積み上げていく部分。“完成した”という言い方は、多分本人が否定するだろう。しかし『あるがままに』以前の角松サウンドが、それこそ作品毎に目まぐるしく変化していたのに対し、『あるがままに』以降、楽曲から受けるイメージはあまり変化していない。あの『INCANATIO』にしても、トンコリなどの民族楽器が異様なだけで、もしアレを無くしたり普通の楽器に置き換えたら、いつもの角松節になると思えるのだ。
そうした意味を含めて、現時点での集大成が『Fankacosutics』。『TIME TUNNEL』と聴き比べれば、進化しているのは明らか。でも受ける印象には、さほど振幅が大きくない。でも一番の問題は、ヤツがココから何処へ向かおうとしているのかだ。『TIME TUNNEL』以降、次に角松が何を演るかは予測ができた。本人からのアナウンスもなくはなかった。でも今回はそれが見えて来ない。もしかして、ってのはなくはないけど…。ということは、本人もまだ模索中なのかも?
いずれにせよ、そろそろ角松サウンドに大きな変化が出ることは予測できる。もしかしたら、角松バンド自体の顔ぶれに変化があるかも知れない。今回のツアーが2つのフォーマットで行なわれたのは、その伏線のような気もするし。ただ角松自身にも、まだ捨てきれてないコダワリがあるのではないか? 今回のツアー、既に両方のサイドを見るコトができたが、個人的に面白かったのはElasticの方。これは後半、どこかでもう一度観ておきたいと思っている。
青白い空に伸びる道路にポツンと置き去りにされたギター・ケース。あれは、未来を見据えて旅立とうとする角松の置き土産かも知れない…。