たまには「ド」のつく定番作品なんて、いかが? …というのもアドリブ誌で1月号からスタートする新シリーズ【名盤物語】で、このアルバムについてたっぷりと書かせてもらったので。でもそれは12月売りではなく、来年1月売りの2月号でのオハナシ。もう早くも年末進行が始まっていて、今日が他誌も含めた最初の締め切りピーク日だったのですよ。さて、ではこの『AJA』の名盤たる由縁は何処に? それこそ名曲・名演揃いなのは、言わずもがな。当時のトップ・モデル山口小夜子を起用した「和」のジャケットも、なかなか鮮烈な印象を与えた。でもAjaは韓国人女性がモデル、けれど歌詞の背景は何故か中国と、東洋にたいしての知識はちょっと曖昧だったりするのだけど。
とにかく『AJA』最大の功績は、ユニットという表現形態を世に広め、その新しいスタイルを定着させたことだとカナザワは考えている。60〜70年代のロック・グループというのは、とかく「バンド=運命共同体」みたいなイメージを持たれがちで、グループの運営にはメンバーの脱退と加入がつきものだった。しかもバンドはライヴで実力を磨く、という考え方が一般的。なので最初はスティーリー・ダンもバンドの体裁を整え、ライヴ・ツアーを行なった。しかしドナルド・フェイゲンとウォルター・ベッカーは、次第にストレスの溜まるライヴ活動やツアーに嫌悪感が募らせ、他のメンバーと確執するに至った。彼らはそもそもジャズ愛好家で、ソングライターを目指した連中。バンドの成長などは考えておらず、対外的に必要なプロパガンダの手段に過ぎなかった。既にデビュー・アルバムから一部にセッション・マンを起用していたことからも、それが明白である。 そこで彼らは考えた。ワークショップ形式のレコーディングを推進すれば、自らの理想的なやり方を手に入れられるのではないか?などと。すなわちメンバーの居場所をなくして離脱を促し、欠員が出たら、それを理由にしてライヴ活動から解放される。そしてレコーディングでは優れたミュージシャンを適材適所に起用し、100%思った通りの作品に仕上げる。実際彼らはゲイリー・カッツの理解もあり、まんまと自由を手に入れた。その手法が顕著になったのが『うそつきケティ』や『幻想の摩天楼』。そしてフュージョン勢の隆盛と相まって、一気に『AJA』でユニット形式の表現方法を完成させた。スティーヴ・ガッドやウェイン・ショーター、ジェイ・グレイドンらの名演の数々も、ここではもはやフェイゲン&ベッカーのよく動く手足に過ぎないのかも。
とにかく『AJA』最大の功績は、ユニットという表現形態を世に広め、その新しいスタイルを定着させたことだとカナザワは考えている。60〜70年代のロック・グループというのは、とかく「バンド=運命共同体」みたいなイメージを持たれがちで、グループの運営にはメンバーの脱退と加入がつきものだった。しかもバンドはライヴで実力を磨く、という考え方が一般的。なので最初はスティーリー・ダンもバンドの体裁を整え、ライヴ・ツアーを行なった。しかしドナルド・フェイゲンとウォルター・ベッカーは、次第にストレスの溜まるライヴ活動やツアーに嫌悪感が募らせ、他のメンバーと確執するに至った。彼らはそもそもジャズ愛好家で、ソングライターを目指した連中。バンドの成長などは考えておらず、対外的に必要なプロパガンダの手段に過ぎなかった。既にデビュー・アルバムから一部にセッション・マンを起用していたことからも、それが明白である。 そこで彼らは考えた。ワークショップ形式のレコーディングを推進すれば、自らの理想的なやり方を手に入れられるのではないか?などと。すなわちメンバーの居場所をなくして離脱を促し、欠員が出たら、それを理由にしてライヴ活動から解放される。そしてレコーディングでは優れたミュージシャンを適材適所に起用し、100%思った通りの作品に仕上げる。実際彼らはゲイリー・カッツの理解もあり、まんまと自由を手に入れた。その手法が顕著になったのが『うそつきケティ』や『幻想の摩天楼』。そしてフュージョン勢の隆盛と相まって、一気に『AJA』でユニット形式の表現方法を完成させた。スティーヴ・ガッドやウェイン・ショーター、ジェイ・グレイドンらの名演の数々も、ここではもはやフェイゲン&ベッカーのよく動く手足に過ぎないのかも。



































コメントはしてませんでしたけど、毎回楽しみにお邪魔しておりました。
今年は本当にお世話になりました。
偶然にも同じ本で繋がっていたことも分かって、なんだか古い友人に再会したような気分でした(笑)。
年末ギリギリまでお忙しいでしょうけど、頑張ってくださいね!
来年も宜しくお願いします。