えぇっ、また…!?
昨年6月の青木さん急逝にさえ、まだ心が疼いてしまうというのに、またひとり、角松バンドの重要メンバーが旅立った。ギタリスト:浅野“ブッチャー”祥之、4月20日死去。享年48歳。
昨年6月の青木さん急逝にさえ、まだ心が疼いてしまうというのに、またひとり、角松バンドの重要メンバーが旅立った。ギタリスト:浅野“ブッチャー”祥之、4月20日死去。享年48歳。
実を言うと、カナザワの所には、まだ何の知らせも届いていない。定期徘徊している複数のサイトの情報で、先ほど知ったばかりだ。昨日の夕方、アドリブ編集部のH君と話した時にも、何も言ってなかったから、情報が出たのはその後だろう。現時点では病名も明らかになってないが、だいたいの予想はついている。
というのもブッチャーさん、このところ、ずっと闘病しながらギターを弾いていたのだ。今は病名を伏すが、入院して加療して、少ししたら退院してしばらく仕事し、また入院の繰り返し。JとB『GIFT』のインタビューは梶原さんだけの出席だったが、実はその時ブッチャーさんは入院していたのだ。
その後KとJとBでライヴ・ツアーをこなし、渋谷AXの楽屋で久々にご挨拶。かなりヤツれていたので「病気は大丈夫なんですか?」と尋ねてしまった。すると「なんでコイツが知ってるんだ?」と思ったのか、ギロリと鋭い眼光を飛ばしつつも、「まぁボチボチだねぇ。すぐに直る病気じゃないからさ」と苦笑いを見せてくれた。なのにもぅ…。
確かに軽い病気ではなかった。段階が進めば命取りにもなる。しかし現代医学では充分克服も可能。ただ急転直下、というコトが起きかねない病なので、ある種爆弾を抱えている状態ではあった。でも若くて体力もあるのだから、カナザワはあまり深刻には考えてなかった。きっと元気になる! そう信じていた。有名人の中にも同じ病気から完全復帰した人がいたしね。
ところがその急転直下が、どうやら起きてしまったらしい。あるいは抵抗力が落ちたところに、他の病気が忍び込んだか。とにかく今のところは、シッカリした情報がないので、詳細はまた後日。今は自分も少々混乱してて、まだお悔やみなんて言える気分じゃない。ただ40代にして1年間に2人の盟友を失った角松や、ブッチャー氏のご家族のことを慮るばかりだ。
ちなみに命日は、ブッチャーさんが永井ホトケ隆(g)、沼澤尚(ds)と組んだザ・ブルースパワーのファースト・アルバム発売日。あぁ、青木さんは誕生日に逝ったんだったなぁ。もしかして青木さん、あの世で大村憲司さんとブッチャーさんのツイン・ギターを組ませたかったの…?、なんて、悲しい思いがただ巡るばかり。
ジョーク好きな人だったけど、さすがにこのタイミングで『泣くんじゃない』と言われても…
というのもブッチャーさん、このところ、ずっと闘病しながらギターを弾いていたのだ。今は病名を伏すが、入院して加療して、少ししたら退院してしばらく仕事し、また入院の繰り返し。JとB『GIFT』のインタビューは梶原さんだけの出席だったが、実はその時ブッチャーさんは入院していたのだ。
その後KとJとBでライヴ・ツアーをこなし、渋谷AXの楽屋で久々にご挨拶。かなりヤツれていたので「病気は大丈夫なんですか?」と尋ねてしまった。すると「なんでコイツが知ってるんだ?」と思ったのか、ギロリと鋭い眼光を飛ばしつつも、「まぁボチボチだねぇ。すぐに直る病気じゃないからさ」と苦笑いを見せてくれた。なのにもぅ…。
確かに軽い病気ではなかった。段階が進めば命取りにもなる。しかし現代医学では充分克服も可能。ただ急転直下、というコトが起きかねない病なので、ある種爆弾を抱えている状態ではあった。でも若くて体力もあるのだから、カナザワはあまり深刻には考えてなかった。きっと元気になる! そう信じていた。有名人の中にも同じ病気から完全復帰した人がいたしね。
ところがその急転直下が、どうやら起きてしまったらしい。あるいは抵抗力が落ちたところに、他の病気が忍び込んだか。とにかく今のところは、シッカリした情報がないので、詳細はまた後日。今は自分も少々混乱してて、まだお悔やみなんて言える気分じゃない。ただ40代にして1年間に2人の盟友を失った角松や、ブッチャー氏のご家族のことを慮るばかりだ。
ちなみに命日は、ブッチャーさんが永井ホトケ隆(g)、沼澤尚(ds)と組んだザ・ブルースパワーのファースト・アルバム発売日。あぁ、青木さんは誕生日に逝ったんだったなぁ。もしかして青木さん、あの世で大村憲司さんとブッチャーさんのツイン・ギターを組ませたかったの…?、なんて、悲しい思いがただ巡るばかり。
ジョーク好きな人だったけど、さすがにこのタイミングで『泣くんじゃない』と言われても…
好きなミュージシャンがなくなるのは
辛いですね。
青木さん浅野さん角松の両サイドがいなくると
とても辛い。
ご冥福をお祈りします。