7e4e826d.jpg今でも時々考えることがある。TOTOの2代目シンガーがファーギー・フレデリクセンではなく、もしエリック・マーティンだったら、TOTOの将来はどう変わっていたのか?と…。

そう、TOTOファンならご存知かと思うが、ボビー・キンボールの後釜探しのオーディションで、最後に残った2人がファーギー・フレデリクセンとエリック・マーティンだった。この時メンバーの選択は2つに割れ、最終的にジェフ・ポーカロの判断でファーギー加入が決まったという。ところが彼は、バラードが歌えないという理由から、たったアルバム1枚でTOTOを去ることになった。一方、ビッグ・チャンスを逃したエリックは、ソロ活動を経てミスター・ビッグを結成。91年に<To Be With You>の全米No.1ヒットを放つ。

そして今度は“Mr.Vocalist”と名付けられたバラード・カヴァー・シリーズ。第1弾は邦楽女性シンガーのバラード・カヴァー集。この第2弾は洋楽女性シンガーが対象だ。ところが同じよう作られたこの2枚の作品の間に、乗り越えがたい大きな壁を感じてしまった。どちらも先に試聴機で聴いてみたのだが、1枚目は購入意欲をソソられず、そのままスルー。でも2枚目は「これは」と思い、すぐに手に取った。自分にそうさせたのは、何だったのか?

邦楽曲と洋楽曲、そのマテリアルの違い?? そんな単純な話ではない。確かに個人的な馴染みの違いはあるにせよ、どちらも大ヒット、名曲揃いである。でも聴く側だけではなく、歌う側にだって“馴染み”はあるのだ。

言い換えれば、楽曲に対する“思い入れ”である。もちろん上手いシンガーだから、どちらもシッカリ歌いこなしていると思ったし、技術的な問題など存在しないだろう。でもそれが本当にイイ歌になっているか、聴き手に感動を与えられる歌かどうかは、それとは次元の異なる問題。つまり歌い手が楽曲の主人公になり切って、その曲の真髄を表現できているかどうか。それにはやはり、歌う本人が取り上げる楽曲やオリジネイターに対する感情が大きくモノを言う。

早い話、いきなり譜面と歌詞を渡されて、「コレ歌って」と言われても、本当にハートの入った歌が歌えるか?、ということ。カナザワがいつも逆カヴァーに強い嫌悪感を示すのも、そこに歌い手の「お仕事」を感じてしまうからである。どんなに良くできた邦楽カヴァーでも、歌い手本人が長年馴染んできた楽曲を本気でカヴァーしたら、絶対それには勝てない。このカヴァー集は、それを改めて教えてくれた。

マライアの<Hero>、ジェイク・シマブクロがウクレレを弾いているシンディ・ローパー<Time After Time>、カーペンターズ<Superstar>に、キャロル・キング<You've Got Friend>、そして意外にもゴスペルの<Amazing Grace>。基本的にファン投票で選ばれた有名曲中心に構成されているそうだけれど、アレンジにはエリック自身のアイディアが大きく反映され、どれも彼自身の作品として見事に昇華されている。

カヴァー流行りの昨今ながら、そのほとんどの場合、歌い手は楽曲やアレンジの僕にしか成り得ていない。ぶっちゃけ邦楽カヴァーでは、エリックもその誹りを免れていないと感じた。うまく歌えているけど、伝わってくるモノは少なかった。でもココでは、楽曲を自分の世界に引きずり込んでいる。試聴機で聴いた自分がすぐにレジへ向かったのは、それを直感的に嗅ぎ取ったから。その歌から、シッカリと伝わってくるモノがあったのだ。

でも売れるのは、きっと邦楽カヴァーの方だろうけど…