ユニバーサルさん11月発売分の【Light Mellow 2010】、その執筆2本目はケニー・ノーランの4thアルバム『HEAD TO TOE』(82年)。本当は全米トップ3ヒットになっt<I Like Dreamin'>を含むファーストから4枚目まで一気に行こうと思ったが、初期3作に関しては権利問題がクリアできず、止むなくコレだけになった。<I Like Dreamin'>や同じくトップ20入りした<Love's Grown Deep>はコンピに入っていたりするけれど、もしかしてご本人の手に戻ったとか?ボブ・クリューとのコンビでディスコ・テックス&ザ・セックス・オー・レッツ<Get Dancin'>を当てたあと、75年3月にフランキー・ヴァリ<My Eyes Adored You(瞳の面影)>で全米ナンバー・ワンを獲得。そしてそれを追い落としたのが、やはりノーラン=クリューのペンに拠るラベルの<Lady Marmalade>。これはレノン=マッカートニー、ホーランド=ドジャー=ホーランドによる3組目の快挙だった。それに気を良くしてか、ソロ・アルバムに着手。実は70年頃にシングルを出していたケニーだが、アルバムはそれが初めてだった。そしてその『KENNY NOLAN』から、<夢のバラード>なんて邦題がよく似合うスウィートな<I Like Dreamin'>が生まれる。
でもこのヒットでプロモーションに忙殺されるようになったケニーは、あっさりと人気商売を放棄。作曲やプロデュースを本業に選び、マイペースでアルバムを作ることを選ぶ。13歳で大学の音楽課奨学生となった天才児は、作曲家として生きる運命にあったのだ。
基本的にソウル系の楽曲に才覚を発揮する人だが、ドナ・サマー人脈と手を結んだ3作目『NIGHT MIRACLES』は、少々ディスコに寄り過ぎた印象。そこで<I Like Dreamin'>のようなミディアム〜スロウ・バラード路線に軌道修正したのが本作。<Soft Rock, Hard Love>なんて曲は、まさに当時のAOR観を象徴していて、優しくマイルドにして実はエッチ
ビル・ラバウンティを意見い出したジェイ・センターがケニーと共同プロデュースに就いており、彼の色もそこはかとなく…
でもこのヒットでプロモーションに忙殺されるようになったケニーは、あっさりと人気商売を放棄。作曲やプロデュースを本業に選び、マイペースでアルバムを作ることを選ぶ。13歳で大学の音楽課奨学生となった天才児は、作曲家として生きる運命にあったのだ。
基本的にソウル系の楽曲に才覚を発揮する人だが、ドナ・サマー人脈と手を結んだ3作目『NIGHT MIRACLES』は、少々ディスコに寄り過ぎた印象。そこで<I Like Dreamin'>のようなミディアム〜スロウ・バラード路線に軌道修正したのが本作。<Soft Rock, Hard Love>なんて曲は、まさに当時のAOR観を象徴していて、優しくマイルドにして実はエッチ
ビル・ラバウンティを意見い出したジェイ・センターがケニーと共同プロデュースに就いており、彼の色もそこはかとなく…
是非ぜひ残りの3枚も引き続きアタックお願いします









































