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またひとり、ワン&オンリーの職人シンガーが逝ってしまった。この人の場合は、差し詰め “虹の向こう側へ行ってしまった” と言うべきか…。“ひとりビーチ・ボーイズ” と異名を取ったスコットランド出身のクリス・レインボーが、25日に死去。享年68歳。死因は明らかにされていない。

クリス・レインボーことクリストファー・ハーレイは、1946年、スコットランドのグラスゴー生まれ。プレスリー、デル・シャノン、ビーチ・ボーイズ、フォー・シーンズなどを聴き漁って成長するが、内向的な性格からバンドを組まず、家でひとり楽器を弾くことを好んだ。そのままミュージシャンを志すことなくデザイン関係の仕事を始めるが、25歳で転機が訪れる。友人の紹介でシンガーを探していたグループに引き会わされ、好奇心から参加を決断したのだ。そしてそのまま ロンドンでのプロ・デビューに繋がる。これが72年末のこと。その時までクリスは人前で歌ったことがなかったそうだ。

その後プリティ・シングスのメンバーたちのバックアップを受け、ソロ・デビュー。74年に作った2枚のシングルでは、既に一人多重コーラスを使っていた。これが評判となって翌年アルバム・デビュー。ポリドールから『HOME OF THE BRAVE』(75年)、本作『LOOKING OVER MY SHOULDER』(78年)、EMIヘ移籍して『WHITE TRAILS』(79年)と、計3枚のオリジナル・アルバムを発表している。日本では本人が関わったアンソロジーなども発売されたが、既にほとんどがOut of Print。何とか今でも入手できそうなのは、我が【Light Mellow's Choice】シリーズで出した『WHITE TRAILS』くらいか。ファンの間では、アラン・パーソンズ・プロジェクトやキャメル、ジョン・アンダーソンのソロ作、布袋寅泰などのワークス、レニー・マクドナルドやジョン・タウンリーのプロデュースでも知られている。

ちなみに上記3作の紙ジャケ盤は、すべて不肖カナザワが解説を書かせて戴いた。これは自分の中で、ちょっとした勲章みたいに感じていたのだが…。いずれにせよ、アイディア先行型が多い英国ポップス界にあって、AORにも通じる音楽職人の心と技を備えた稀有な人だった。近年は地元密着型で仕事を続けていて、新作の話もあったのだが、結局それは陽の目を見ないまま(一部配信されている)になってしまったのが、残念でならない。今はただ Rest in Peace…