
一年半くらい前に一度CD化がアナウンスされたものの、権利上のトラブル発覚で無期延期状態に陥っていたタマが、忘れた頃にようやくGO! いよいよ本日、紙ジャケ仕様でリイシューとなる。自分も突然ライナーの執筆依頼で、“あぁ、コレってまだ動いていたんだ”と思ったが、某著名DJ氏のMix Tapeに入ったり、ディスクガイドに掲載されたりしていたので、きっと待っていた人が少なくないだろう。かくいう自分は、ずいぶん前に友人から教えられてアナログ盤をゲットしていたが、当時はハワイ物というくらいで、アルバートさんの素性はよく分からず。その後レア・グルーヴ方面で騒がれ、ハワイのベテラン・グループSociety Of Sevenにいた人だと分かったが、結成メンバーという間違った情報もあって…。今回いろいろ調べて、実はもっと深いキャリアの男だと分かった。
リル・アルバートは本名をアルバート・マリグマットといい、フィリピン出身。ジャズ・ベースを弾いていた父親は4人の息子をエンタテイメントの道へ進ませようと考え、音楽の勉強をさせながら、ファミリー・グループを結成。60年代初頭からフィリピンのツーリスト・サーキットで歌わせていたらしい。その後米国進出し、“ロッキー・フェラーズ”の名で62年デビュー。エド・サリヴァン・ショウに出演したり、<Killer Joe>(全米16位)や<Like The Big Guys Do>(同55位)のヒットを放っている。リード・ヴォーカルのアルバートは、当時弱冠9〜10歳だったそうだ。
しかし間もなく米国にビートルズ旋風が吹き荒れ、フェラーズは活動停止。アルバートともうひとりがハワイで活動を続けることになった。父に倣ってベースを弾いていたアルバートだが、71年に加入したSociety Of Sevenではドラムを担当。前任は後にOX、Seawindを結成するボブ・ウィルソンだったという。76年までホノルルにいたアルバートだが、ここでメインランドへ渡り、やがてシカゴ出身の大型ブラス・ロック・バンド The Mobに加入。このThe Mobは、Chicagoの結成メンバーであるテリー・キャス(g)やダニー・セラフィン(ds)、リー・ロックネイン(tr)、ウォルター・パラザイダー(sax)らも関わったバンドで、シカゴはもちろんブラッド・スウェット&ティアーズやバッキンガムズにも多大な影響を与えた“ブラス・ロックの始祖的存在”と言われる。ほとんど売れなかったが、アルバート加入前に2枚のアルバムを出し、AORマニアにはネッド・ドヒニーのカヴァー曲で知られている。しかし当時は既にジリ貧で、アルバートもシングル盤を吹き込んだだけでハワイへ舞い戻り、Society Of Sevenに再加入した。
76年に制作されたこの『MOVIN' IN』は、ちょうど彼がハワイを脱出した頃に作った初ソロ・アルバム。タイミング的に、セシリオ&カポノやカラパナの後を追ったに違いない。何せ本国のショービス界で活躍した経験を持つから、ハワイ・ローカルで終わりたくないという気持ちが強かったと思われる。レコーディングは西海岸で、名手ポール・ハンフリー(ds)を筆頭に、シルヴェスター・リヴァース(kyd)やグレッグ・ポリー(g)、アーサー・ライト(g)、ジョージ・ボハノン(tb)、プラス・ジョンソン(sax)などが参加した。
楽曲的には、クールなシティ・ソウル人気曲<My Girl Friday>、ヤンギーな<Who Do The Voodoo (Baby Like You Do)>などが人気。こうしたソウルフルな楽曲では、少し甘めの歌声が初期カラパナ〜マッキー・フェアリーを思わせる。また<(Restin’ My Bones, Getting’ Staned)Daydreaming>は楽しいパーティ・ソング。個人的には、メロウなストリングスや女性コーラスが香しく絡むクレイドル感覚のスロウ・ファンク<Outrageous>をイチ押ししたい。一方で まだ垢抜けないMORテイストのバラードや、妙にイナタいロック・チューンも入っているが、時代と彼の出自を考えれば納得できる。ようやく洗練へのプロセスを踏み出したという、その辺りのメロウネスが美味なのだ。
The Mobへの加入は、このアルバムが期待したほどの成果を上げられなかったからだろう。セシリオ&カポノやカラパナ同様、彼もまた、メインランドでの成功を夢見て挫折したコンテンポラリー・ハワイアン・アーティストのひとりだった。
しかし間もなく米国にビートルズ旋風が吹き荒れ、フェラーズは活動停止。アルバートともうひとりがハワイで活動を続けることになった。父に倣ってベースを弾いていたアルバートだが、71年に加入したSociety Of Sevenではドラムを担当。前任は後にOX、Seawindを結成するボブ・ウィルソンだったという。76年までホノルルにいたアルバートだが、ここでメインランドへ渡り、やがてシカゴ出身の大型ブラス・ロック・バンド The Mobに加入。このThe Mobは、Chicagoの結成メンバーであるテリー・キャス(g)やダニー・セラフィン(ds)、リー・ロックネイン(tr)、ウォルター・パラザイダー(sax)らも関わったバンドで、シカゴはもちろんブラッド・スウェット&ティアーズやバッキンガムズにも多大な影響を与えた“ブラス・ロックの始祖的存在”と言われる。ほとんど売れなかったが、アルバート加入前に2枚のアルバムを出し、AORマニアにはネッド・ドヒニーのカヴァー曲で知られている。しかし当時は既にジリ貧で、アルバートもシングル盤を吹き込んだだけでハワイへ舞い戻り、Society Of Sevenに再加入した。
76年に制作されたこの『MOVIN' IN』は、ちょうど彼がハワイを脱出した頃に作った初ソロ・アルバム。タイミング的に、セシリオ&カポノやカラパナの後を追ったに違いない。何せ本国のショービス界で活躍した経験を持つから、ハワイ・ローカルで終わりたくないという気持ちが強かったと思われる。レコーディングは西海岸で、名手ポール・ハンフリー(ds)を筆頭に、シルヴェスター・リヴァース(kyd)やグレッグ・ポリー(g)、アーサー・ライト(g)、ジョージ・ボハノン(tb)、プラス・ジョンソン(sax)などが参加した。
楽曲的には、クールなシティ・ソウル人気曲<My Girl Friday>、ヤンギーな<Who Do The Voodoo (Baby Like You Do)>などが人気。こうしたソウルフルな楽曲では、少し甘めの歌声が初期カラパナ〜マッキー・フェアリーを思わせる。また<(Restin’ My Bones, Getting’ Staned)Daydreaming>は楽しいパーティ・ソング。個人的には、メロウなストリングスや女性コーラスが香しく絡むクレイドル感覚のスロウ・ファンク<Outrageous>をイチ押ししたい。一方で まだ垢抜けないMORテイストのバラードや、妙にイナタいロック・チューンも入っているが、時代と彼の出自を考えれば納得できる。ようやく洗練へのプロセスを踏み出したという、その辺りのメロウネスが美味なのだ。
The Mobへの加入は、このアルバムが期待したほどの成果を上げられなかったからだろう。セシリオ&カポノやカラパナ同様、彼もまた、メインランドでの成功を夢見て挫折したコンテンポラリー・ハワイアン・アーティストのひとりだった。