louis johnsonpassage
ルイス・ジョンソンが亡くなった。もうしばらくニュースらしいニュースは入っていなかったが、05年にブラザーズ・ジョンソンの最新ライヴ映像が商品化された時も、兄ジョージに比べてルイスの老化が激しいと噂された。あれから10年、楽器屋で働いている、なんて風の便りが届いたこともあったものの、真偽は知れず…。晩年の状況も寂しいモノだったのかも知れない。いずれにせよ、60歳にしての訃報は早すぎる。

さてルイス・ジョンソンといえば、やはりスラップ・ベース。当時はチョッパーと呼ぶのが一般的だった。開祖はご存知ラリー・グラハムだが、その名を広く知らしめたのはルイスに他ならず、腕を振り下ろすように大袈裟に弦を弾く姿は、まるで格闘技のようだった。そう、ジャイアント馬場が得意にしていた空手チョップね(力道山時代は空手打ち)。

まだ10代の頃、兄弟や従兄弟と組んだバンドで活動していたところをビリー・プレストンに見い出され、まず兄ジョージがビリーと共演。次いでルイスもビリーと一緒にプレイし始め、兄弟揃って『MUSIC IS MY LIFE』(72年)に参加している。この時ルイスは、弱冠16〜17歳。次いでビリーと親しかったクインシーに請われ、ツアーやレコーディングに参戦。特に75年作『MELLOW MADNESS』で大きな貢献を果たした。そして翌年、クインシーのプロデュースで兄弟デュオ “ブラザーズ・ジョンソン”としてデビュー。<l'll Be Good To You >や<Strawberry Letter 23>、<Stomp>など、R&BのNo.1ヒットを放っている(すべて全米トップ10入り)。その後もルイスはクインシーのセッションで重用され、マイケル・ジャクソンなど数多くのアルバムに参加。ルーファスではレギュラー・メンバーを差し置いてベース・ソロをカマしたりした。クインシーはブラ・ジョン作品を痛く気に入っていたようで、自分のリーダー作やらプロデュース作でも、しばしばブラ・ジョンの楽曲を取り上げている(ただし<Strawberry Letter 23>はシュガー・オーティス作)。

上掲は、右側がブラ・ジョン絶頂期にあった81年に、ルイスが別働隊として立ち上げたCCMユニット:パッセージ。メンバーは当時の奥様ヴァレリーとブラ・ジョンのパーカッション奏者リチャード・ヒースで、クインシーのツアーでも活躍したkyd奏者デヴィッド・ディッグス編曲による流麗なストリングスが全編で活躍する。ファンク色を抑え、透明感溢れるアーバンなシティ・ソウルを聴かせた好作だ。一度CDが出たが、音はアナログ起こしっぽく、実はブートというのが専らの噂。

左側は、ブラ・ジョンが解散状態に陥った85年に出された、ルイス唯一のソロ・アルバム。時代が時代、しかもロウ・バジェットが見えてしまう打ち込み作で、ほとんどの演奏をルイス自身が手掛けている。当時は駄作と片付けられ、まったく話題にならなかった。スラップも中途半端に遠慮気味。ポール・ジャクソンJr.がギター・ソロを弾く曲もあって、まぁ それほどヒドイものでもないと思うが、ワン&オンリーであること以外 大した価値は見い出せない。それでも訃報が入った今となれば、ちょっとは空しく響くもの。ブラ・ジョンだけがルイスじゃなかったことを知って戴ければ、きっと彼も喜ぶだろう。

そういえば、ジョージ・デュークの80年代のジャパン・ツアーも、ベースはルイス。確かソロの時に、思いっ切り弦を切っていたなぁ…。さすが “サンダー・サム” と異名を取っただけはあった。

Rest in Peace…