hirth martinezdave varentin
今日は朝から訃報が相次いだ。ひとりはザ・バンド人脈に連なり、ほのぼのした作風で知られるシンガー・ソングライター:ハース・マルティネス。そしてもうひとりは、デイヴ・グルーシンと共にGRPを創設したエンジニア/プロデューサーのラリー・ローゼン。

ハース・マルティネスは、1945年、メキシコ系米国人が多いイーストL.A.生まれ。10代の頃から米軍基地やラスヴェガスで歌っていたが、70年代初めにボブ・ディランやロビー・ロバートソンと知り合い、75年にロビーのプロデュースによる『HIRTH FROM EARTH』でデビュー。ヒットはしなかったものの、日本の好事家の間で<Altogether Alone>というドリーミーな曲が人気を集めた。77年に、今度はザ・バンドのプロデューサーだったジョン・サイモン制作で、2nd『BIG BRIGHT STREET』を発表。これも関係筋に高い評価を受けるが、やはり商業的成功は手にできず、そのまま表舞台から姿を消して、地元での地道な活動に甘んじていた。

そのハースを引っ張り出したのが、パイドパイパーハウスの長門芳郎氏とジョン・サイモン。かくして98年に21年ぶりの新作『ミスター・ドリームズヴィル〜夢の旅人(I'M NOT LIKE I WAS BEFORE)を発表し、その後奇跡の来日公演〜ライヴ・アルバム、ヴァレリー・カーターとのシングルなどをリリース。マイペースで創作を続けてきた。08年の細野晴臣トリビュート『STRANGESONG BOOK』に参加し、ヴァン・ダイク・パークスと英語版<ろっかばいまいべいびぃ>で共演したのも記憶に新しい。かねてからガンと闘病していたが、それがこの7月頃に悪化。昨日10日に彼の家族から亡くなったことが発表された。享年70歳。この夏に横浜赤レンガ倉庫で開催された『70'S バイブレーション』内に復活したパイド・パイパー・ハウスで、長門さんが『ミスター・ドリームズヴィル』からのシングルを発売していたが、それがいわば遺作のような形になってしまった。

一方、GRP Recordの “R” だったラリー・ローゼンは、1940年、ニューヨーク生まれ。ドラマーとして音楽業界に入った彼は、当時アンディ・ウィリアムスのバンドでピアノを弾いていたデイヴ・グルーシンと意気投合。60年代半ばから、しばしば行動を共にするようになった。初めてプロデュースを手掛けたのが、カリビアンの黒人シンガー・ソングライター:ジョン・ルシアンの73年作『ラシーダ』。そこではシッカリとグルーシンがアレンジャーとして参加している。グルーシンもセルジオ・メンデスやクインシー・ジョーンズ、ハーブ・アルパート、ペギー・リーらのアレンジャーとしてメキメキ頭角を現していたから、2人は新たに制作会社Grusin / Rosen Productionを設立。CTIやBlue Noteからアール・クルーやパティ・オースティン、ノエル・ポインターらをデビューさせた。その勢いで、やはり新興レコード会社だったARISTAと配給契約を結び、レーベルへと昇格。そこから真っ先に送り出したのが、アンジェラ・ボフィール、トム・ブラウン、そしてこのフルート奏者デイヴ・ヴァレンティンであった。その後Arista/GRPでは、AOR系のスコット・ジャレット(キース・ジャレットの弟)、ドン・ブラックマン(kyd)、バーナード・ライト(kyd)らを送り出し、フュージョン・ファンから愛される存在に。若き日のマーカス・ミラーも、GRP関連のセッションに多数参加して名を上げていった。今にして思えば、初期GRP作品にカリブ系アーティストが多かったのは、ジョン・ルシアンから連なるローゼン人脈に端を発するのかもしれない。

GRPがAristaから離れ、高音質を売りにしたジャズ系インディペンデント・レコード会社として再スタートしたのが82年。そこからチック・コリアやリー・リトナー、トム・スコット、スパイロ・ジャイラ、リッピントンズ、ダイアン・シューアなどを擁して、スムーズ・ジャズ・ブーム形成に寄与していくことになるが、少々イージー・リスニングに流れる傾向もあって、賛否は別れた。その後2人は95年にGRPの経営から退任。ローゼンは新たなレーベルを立ち上げたり、ジャズのコンサート・シリーズの監修、資料館の設立などに尽力していたが、脳腫瘍を患い、この9日にニュージャージー州パークリッジの自宅で家族に看取られた。享年75歳。

ハース人気は日本だけ、ラリー・ローゼンは裏方の業界人だが、共にカナザワの音楽観を広げてくれた人たちでもある。そんな2人に、心から Rest in Peace...

と、そんなやるせない気持ちを抱えつつ、夜は六本木の小洒落たライヴ・ヴェニュー C★LAPPSへ、知り合いが多数出演する『CITY POPSの夕べ クラッカーv.s.紙飛行機』山下達郎/角松敏生トリビュート・バンド対決を観に。角松トリ・バンのFAKEは、過去何度か観ているのでおおよそ想像通りだったが、お初の山下達郎トリバンT.M.M.P.のアンサンブルの素晴らしさにビックリ。しかもアンコールでは、達郎バンドの伊藤広規さん、元シュガー・ベイブの村松邦男さん、そして元祖 山タツ・トリバンSo Niceの鎌倉氏がゲスト参加して、<Down Down>の一大セッションとなった。メンバーが実際に村松さんのライヴをお手伝いしていたり、広規さんのアマチュア交流に参加していたり、というのがご縁らしいけど、Vo/Gの方を筆頭に、下手なプロよりよっぽど気骨のあるミュージシャンシップを堪能させていただきました。