TOTOが91年にモントルー・ジャズ・フェスティヴァルへ出演した時のライヴ映像が、ようやくオフィシャル・リリースされた。この出演時の模様は、過去にTVなどで断片的に紹介されていて、ファンにはそこそこ知られていたと思う。ところが映像自体の権利がモントルー主催側にあるため、商品化の動きは鈍かった。しかしご存知のように数年前から、モントルー側がこの歴史あるフェスの膨大な映像のアーカイヴに着手。これをスティーヴ・ルカサーがプロデュースする形で、ようやく商品化が実現した。
TOTOはこの時、ジェフ・ポーカロの生前最後のスタジオ・アルバム『KINGDOM OF DESIRE』発表前。すなわちメンバーはルカサー、デヴィッド・ペイチ、ジェフ&マイク・ポーカロの4人で、リード・シンガー不在の時期である。それを男女3人のセッション・シンガーとパーカッション奏者(クリス・トルヒーヨ)で補う布陣だ。とはいえ、ライヴ映像の少ないTOTO、しかも共に鬼籍に入ってしまったポーカロ兄弟揃い踏みの記録ということで、大変貴重な作品であることは間違いない。
この『KINGDOM OF DESIRE』というアルバムに対して自分は、ロック・アルバムとして一定の評価をしつつ、自分が求めるTOTOからは大きく外れているという理由から、辛口で語るコトが多い。早い話、メンバーはともかく、演っている内容はロス・ロボトミーズやルカサーのソロと大して変わらんだろ!というコト。当然このモントルー・ライヴも、ベクトルはそちら向きだ。聞くところでは、ジェフ自身が “ルカサーをヴォーカルに” と主張していたらしいが、そのココロは「ワケの分からんヤツを入れてバンドを掻き乱されるくらいなら、ルークにイニシアチヴを与えて歌わせた方がベター」という選択ではなかったか? その最初のアルバムが『KINGDOM OF DESIRE』であり、その前哨戦的ライヴがこのモントルーだった。
そうしたスタンスから、ちょっとハスに見始めたカナザワ。それでも<Africa>や<Rosanna>、<I'll Be Over You>といったジェフ時代の往年の楽曲は、やはり無条件にグイグイッと引き込まれる。オープニング<On The Run>も今では編集盤『TOTO XX』でお馴染みだが、本来は『KINGDOM OF DESIRE』用に書かれたものの未完成に終わった楽曲だった。しかもそのリフは、ジェイムス・ニュートン・ハワード&フレンズの83年作に提供されたペイチ作<E-Minor Shuffle>がベースで、その時からジェフのグルーヴが炸裂していたから、黙って身体が馴染んでしまう。
でもその一方で、変拍子を交えたロック・フュージョン<Jake To The Bone>や、ジミ・ヘンドリックスのカヴァー<Red House>ではジェフらしさが乏しく、この辺はサイモン・フィリップスが叩いてもあまり違和感がない。92年のジェフ急逝により、この4人での次作はなかったが、もしジェフ健在だったらどのような道に進んだのか、それが今でも気になるトコロだ。
収録はライヴ本編7曲に、当日の小屋モントルー・カジノへの出演者がステージになだれ込むアンコール曲<I Want To Take You Higher>(スライ&ファミリー・ストーンのカヴァー)の計8曲。そこでは後のメンバー:グレッグ・フィリンゲインズが飛び入りし、ペイチと並んで鍵盤を弾くのが嬉しい。実際はこのあと<Hold The Line>を演ったはずだが、バック・シンガーがメインで歌っているためか、本作ではカットされている。
合わせて計70分は些か短い気がするが、これはフェスだから、というより、やはりリード・シンガー不在となって間もないTOTO側の事情だろう。しかも新作は発売前。それを補うためなのか、大変珍しいコトに、ジェフが短いながらもドラム・ソロを披露する場面もある(ソロというよりブレイクっぽいが)。それなのにモントルー出演を強行したのは、この年のフェスで主催側のブレーンを務めたクインシー・ジョーンズからのお声掛りだからだろう。それに合わせて短いヨーロッパ・ツアーを組み、この頃からヨーロッパでTOTO人気に火が点き始めた。『KINGDOM OF DESIRE』がお蔵入りしかけた本国アメリカとは正反対なのだ。
とにかく、ジェフ存命中のTOTOのオフィシャル・ライヴ映像というと、90年のパリ・ライヴ(Vo:ジャン・ミッシェル・バイロン)とコレくらいしかない現状。しかもパリの映像は、短期間で脱退したバイロンをまったく登場させない半ば強引な編集&選曲になっていて、ライヴ・ドキュメントとしては違和感が大きかった。特に自分は編集前の映像が衛星放送で放映されたのを観ていたから、その時のカッコ良さが忘れられず、市販ヴァージョンにはヒドくガッカリしたのを覚えている。
それに比べてこのモントルー・ライヴは、多少の荒っぽさ、手探り感はあるものの、ライヴ作品としては まさに痛快丸カジリ。最もハード・ロック寄りに触れた時期ゆえ、TOTOというバンドのあり方としては賛否が割れる時期ではあるものの、コレはコレで充分過ぎるほどに価値ある内容だと思うぞ。
この『KINGDOM OF DESIRE』というアルバムに対して自分は、ロック・アルバムとして一定の評価をしつつ、自分が求めるTOTOからは大きく外れているという理由から、辛口で語るコトが多い。早い話、メンバーはともかく、演っている内容はロス・ロボトミーズやルカサーのソロと大して変わらんだろ!というコト。当然このモントルー・ライヴも、ベクトルはそちら向きだ。聞くところでは、ジェフ自身が “ルカサーをヴォーカルに” と主張していたらしいが、そのココロは「ワケの分からんヤツを入れてバンドを掻き乱されるくらいなら、ルークにイニシアチヴを与えて歌わせた方がベター」という選択ではなかったか? その最初のアルバムが『KINGDOM OF DESIRE』であり、その前哨戦的ライヴがこのモントルーだった。
そうしたスタンスから、ちょっとハスに見始めたカナザワ。それでも<Africa>や<Rosanna>、<I'll Be Over You>といったジェフ時代の往年の楽曲は、やはり無条件にグイグイッと引き込まれる。オープニング<On The Run>も今では編集盤『TOTO XX』でお馴染みだが、本来は『KINGDOM OF DESIRE』用に書かれたものの未完成に終わった楽曲だった。しかもそのリフは、ジェイムス・ニュートン・ハワード&フレンズの83年作に提供されたペイチ作<E-Minor Shuffle>がベースで、その時からジェフのグルーヴが炸裂していたから、黙って身体が馴染んでしまう。
でもその一方で、変拍子を交えたロック・フュージョン<Jake To The Bone>や、ジミ・ヘンドリックスのカヴァー<Red House>ではジェフらしさが乏しく、この辺はサイモン・フィリップスが叩いてもあまり違和感がない。92年のジェフ急逝により、この4人での次作はなかったが、もしジェフ健在だったらどのような道に進んだのか、それが今でも気になるトコロだ。
収録はライヴ本編7曲に、当日の小屋モントルー・カジノへの出演者がステージになだれ込むアンコール曲<I Want To Take You Higher>(スライ&ファミリー・ストーンのカヴァー)の計8曲。そこでは後のメンバー:グレッグ・フィリンゲインズが飛び入りし、ペイチと並んで鍵盤を弾くのが嬉しい。実際はこのあと<Hold The Line>を演ったはずだが、バック・シンガーがメインで歌っているためか、本作ではカットされている。
合わせて計70分は些か短い気がするが、これはフェスだから、というより、やはりリード・シンガー不在となって間もないTOTO側の事情だろう。しかも新作は発売前。それを補うためなのか、大変珍しいコトに、ジェフが短いながらもドラム・ソロを披露する場面もある(ソロというよりブレイクっぽいが)。それなのにモントルー出演を強行したのは、この年のフェスで主催側のブレーンを務めたクインシー・ジョーンズからのお声掛りだからだろう。それに合わせて短いヨーロッパ・ツアーを組み、この頃からヨーロッパでTOTO人気に火が点き始めた。『KINGDOM OF DESIRE』がお蔵入りしかけた本国アメリカとは正反対なのだ。
とにかく、ジェフ存命中のTOTOのオフィシャル・ライヴ映像というと、90年のパリ・ライヴ(Vo:ジャン・ミッシェル・バイロン)とコレくらいしかない現状。しかもパリの映像は、短期間で脱退したバイロンをまったく登場させない半ば強引な編集&選曲になっていて、ライヴ・ドキュメントとしては違和感が大きかった。特に自分は編集前の映像が衛星放送で放映されたのを観ていたから、その時のカッコ良さが忘れられず、市販ヴァージョンにはヒドくガッカリしたのを覚えている。
それに比べてこのモントルー・ライヴは、多少の荒っぽさ、手探り感はあるものの、ライヴ作品としては まさに痛快丸カジリ。最もハード・ロック寄りに触れた時期ゆえ、TOTOというバンドのあり方としては賛否が割れる時期ではあるものの、コレはコレで充分過ぎるほどに価値ある内容だと思うぞ。