
巨星 落つ。大物プロデューサーで数多のレコード会社を切り盛りしてきたトミー・リピューマが、昨日13日、ニューヨークの病院で息を引き取った。少し前から体調を崩していたという。享年80歳。彼の制作物はおよそ7500万枚を売り、33ものグラミーにノミネートされた。
60年代はA&Mでソフト・ロック〜ポップス系の黄金時代を築き、70年代に入って新興ブルー・サムのプロデューサーに就任。70年代後半は大手ワーナーに迎えられ、ヒット作を連発した。その後再びA&M傘下で自分のレーベル:ホライズンの創設。日本のアルファ・レコードがA&Mとディストリビューション契約を結んだ際、YMOの世界進出に貢献した。ホライズンが短命に終わり、一旦ワーナーに戻るが、GRPレコードのスケールアップの時には、創始者であるデイヴ・グルーシン&ラリー・ローゼンの後を継ぎ、98〜04年はヴァーヴ・ミュージック・グループのチェアマンを務めた。現ヴァーヴ・ミュージック・グループ会長。
カナザワの専門であるAOR方面では、やはりブルー・サム〜ワーナー〜ホライズンあたりの活躍に目を見張る。例えば、しばしばAORのファースト・ステップとされるニック・デカロ『ITALIAN GRAFITTI』(74年)がブルー・サムでの制作。ベン・シドラン、デイヴ・メイスン、マーク=アーモンドらを送り出したほか、フィル・アップチャーチ(g)やポール・ハンフリー(ds)ら職人プレイヤーの作品を手掛けている。ジョージ・ベンソンの雛形といえるガボール・ザボ(g)をプロデュースしたのも、このブルー・サム時代。同じ頃、請われてバーブラ・ストライサンドをプロデュースした。
それが直後のワーナー入りで、一気に開花。ベンソン「 BREEZIN'』(76年)を筆頭に、マイケル・フランクス、アル・ジャロウらを世に出したというだけで、その敏腕ぶりに納得だろう。スタッフのデビューやデオダートにも関わった。言わばフュージョン/AOR黎明期に、ボーダーレスな音楽を積極的に紹介し、自由な創作の場を提供したのがリピューマだった。
そして自身のレーベル:ホライズンでは、ニール・ラーセン、シーウインド、マーク=アーモンド、ベン・シドラン、Dr.ジョンらと契約。再度のワーナーでは、ベンソン、ラーセン=フェイトン・バンド、マイケル・フランクス、スティーヴン・ビショップ、ランディ・クロフォード、ブレンダ・ラッセル、イエロージャケッツ、マイケル・ラフらを制作。86年にはマイルス・デイヴィス『TUTU』を手掛けている。ナタリー・コール、エヴリシング・バット・ザ・ガール、ジョー・サンプルにも携わった。多くのレーベルを渡り歩いたリピューマだが、多くのアーティストはその枠を超えて長い付き合いとなっている。それは彼のセンスが普遍性を持ち、流行り廃りとは無縁という証明なのだ。
近年はダイアナ・クラールとの蜜月ぶりが印象的。ポール・マッカートニーのジャズ・スタンダード作もリピューマの仕事だった。
とにかく、リピューマがいなかったら、AORというサウンド・スタイルが生まれていたかどうか…。それくらい偉大な人。ミスター・ソフィスティケイション。深く深く哀悼の意を…(泣)
カナザワの専門であるAOR方面では、やはりブルー・サム〜ワーナー〜ホライズンあたりの活躍に目を見張る。例えば、しばしばAORのファースト・ステップとされるニック・デカロ『ITALIAN GRAFITTI』(74年)がブルー・サムでの制作。ベン・シドラン、デイヴ・メイスン、マーク=アーモンドらを送り出したほか、フィル・アップチャーチ(g)やポール・ハンフリー(ds)ら職人プレイヤーの作品を手掛けている。ジョージ・ベンソンの雛形といえるガボール・ザボ(g)をプロデュースしたのも、このブルー・サム時代。同じ頃、請われてバーブラ・ストライサンドをプロデュースした。
それが直後のワーナー入りで、一気に開花。ベンソン「 BREEZIN'』(76年)を筆頭に、マイケル・フランクス、アル・ジャロウらを世に出したというだけで、その敏腕ぶりに納得だろう。スタッフのデビューやデオダートにも関わった。言わばフュージョン/AOR黎明期に、ボーダーレスな音楽を積極的に紹介し、自由な創作の場を提供したのがリピューマだった。
そして自身のレーベル:ホライズンでは、ニール・ラーセン、シーウインド、マーク=アーモンド、ベン・シドラン、Dr.ジョンらと契約。再度のワーナーでは、ベンソン、ラーセン=フェイトン・バンド、マイケル・フランクス、スティーヴン・ビショップ、ランディ・クロフォード、ブレンダ・ラッセル、イエロージャケッツ、マイケル・ラフらを制作。86年にはマイルス・デイヴィス『TUTU』を手掛けている。ナタリー・コール、エヴリシング・バット・ザ・ガール、ジョー・サンプルにも携わった。多くのレーベルを渡り歩いたリピューマだが、多くのアーティストはその枠を超えて長い付き合いとなっている。それは彼のセンスが普遍性を持ち、流行り廃りとは無縁という証明なのだ。
近年はダイアナ・クラールとの蜜月ぶりが印象的。ポール・マッカートニーのジャズ・スタンダード作もリピューマの仕事だった。
とにかく、リピューマがいなかったら、AORというサウンド・スタイルが生まれていたかどうか…。それくらい偉大な人。ミスター・ソフィスティケイション。深く深く哀悼の意を…(泣)
トミーリピューマ氏の数々の名プロデューサーぶりは知っていたものの本当私たちが聞いてきた数多くの名盤を世に輩出してきた氏の手腕が無ければ私たちは素晴らしい音楽との出会いがなかったかも。
合掌
今度、リビューマ特集を何かの機会で組んでください。宜しくお願い致します。