
アンダーソン・ラヴィン・ウェイクマン改めイエス feat.アンダーソン・ラヴィン・ウェイクマンとなったグループの来日公演初日を見に行く朝、目覚めて一番に飛び込んできたのが、このアラン・ホールズワースの訃報だった。すぐにFacebookに情報を流し、またしても虚無感に襲われ…。結局、引退表明後に“最後の日本ツアー” として行なった2014年のクラブ・サーキットが、ホントに最後の来日になってしまった…(その時のライヴ・レビュー)
初めてアランのギターを聴いたのは、ビル・ブラッフォードのファースト・ソロだったか。その捉えどころのないホニョホニョしたフレーズは、ガッツリ魂を込めてピッキングするブルース上がりのギター弾きとは真逆で、その変態ぶりに興味をそそられた。続いて伝説のUK、そしてゴング『GAZEUSE』、ソフト・マシーン『BUNDLESS(収束)』、ジャズ・ドラマー:トニー・ウィリアムスのニュー・ライフタイムへと。この時期、ジャン・リュック・ポンティのアルバムでも、素晴らしいギターを披露している。
だがUK離脱組で結成したブラッフォードをアルバム1枚で抜けた後は、ジャズ・シーンとの関わりを深めていくも、経済的に困窮。幼い子のミルク代を稼ぐために愛器を売るなど、かなり辛い時期を送ったようだ。運が開けたのは、82年に米国移住してから。まず自主制作盤『I.O.U.』を制作。このアルバムが、かねてからアランの大ファンだったエディ・ヴァン・ヘイレンに渡り、そのエディの紹介でメジャー契約を得た。そもそも『I.O.U.』というタイトルも、実は借用証書のこと。その語源は、"I owe you" だそうだから泣けてくる。でもその後は紆余曲折ありながらも、ギター・レジェンドとしての地位を確立。コンスタントに作品をリリースしながら、多くのプロ/アマ・ギタリストたちから絶対的支持を勝ち得てきた。
この2枚組ベストは、ソロ転向後のアランの活動を集大成したもの。編集は05年で、disc1は85〜94年のアルバム群からのギター曲を、disc2は87〜02年の作品からシンタックス(ギター・シンセサイザー)を弾いている楽曲をセレクトしている。当時の未発表曲も収録されていたのがミソ。手持ちは14年に紙ジャケ再発された時のモノだ。
死因は明らかにされていないが、娘が16日にFacebookで父アランの死を伝えた。享年70歳。Rest in Peace...
アラン・ホールズワースはあまりに凄すぎて、僕には真似できない…。
彼の奏法が判らないんだ。
僕が両手でやってきたことを、彼は片手でプレイするだろう。
エディ・ヴァン・ヘイレン
だがUK離脱組で結成したブラッフォードをアルバム1枚で抜けた後は、ジャズ・シーンとの関わりを深めていくも、経済的に困窮。幼い子のミルク代を稼ぐために愛器を売るなど、かなり辛い時期を送ったようだ。運が開けたのは、82年に米国移住してから。まず自主制作盤『I.O.U.』を制作。このアルバムが、かねてからアランの大ファンだったエディ・ヴァン・ヘイレンに渡り、そのエディの紹介でメジャー契約を得た。そもそも『I.O.U.』というタイトルも、実は借用証書のこと。その語源は、"I owe you" だそうだから泣けてくる。でもその後は紆余曲折ありながらも、ギター・レジェンドとしての地位を確立。コンスタントに作品をリリースしながら、多くのプロ/アマ・ギタリストたちから絶対的支持を勝ち得てきた。
この2枚組ベストは、ソロ転向後のアランの活動を集大成したもの。編集は05年で、disc1は85〜94年のアルバム群からのギター曲を、disc2は87〜02年の作品からシンタックス(ギター・シンセサイザー)を弾いている楽曲をセレクトしている。当時の未発表曲も収録されていたのがミソ。手持ちは14年に紙ジャケ再発された時のモノだ。
死因は明らかにされていないが、娘が16日にFacebookで父アランの死を伝えた。享年70歳。Rest in Peace...
アラン・ホールズワースはあまりに凄すぎて、僕には真似できない…。
彼の奏法が判らないんだ。
僕が両手でやってきたことを、彼は片手でプレイするだろう。
エディ・ヴァン・ヘイレン














































「クロスオーヴァー&フュージョン1000」シリーズでも
『ミリオン・ダラー・レッグス』だけでしたし
(ジャケットで選んでないか?と突っ込みたくなります)
ということで『Believe It』派です